昨日から、石巻市に住む私の両親が札幌に来ました。
震災の影響で、少し長めの休暇となったこともあってのこと。
お見舞いをいただいた方にも、お礼を兼ねて私も回ってきました。
震災の状況を聞くたび、こうやって会えること自体、ありがたいことと思いました。
父や母の話によれば、ですが--
旧石巻市(合併したのです)の2/3は、浸水したようだ。
地盤が70cmも下がったので、満潮のときに各地が水没する。
義捐金が渡されるのが、とにかく遅い。
罹災証明を受けるのに、役所でも「印鑑」「保険証か免許証」を求められる(流されて、ないのに!)。
家の上にバス、船。
瓦礫を取り除けたのは、道路くらい。
物資は足りてきてるが、避難所の食事はパン、おにぎりばかり。
ボランティアも減っていて、野菜や温かい食事が取れていない。
市有地も多くが浸水したため、仮設住宅を建てる場所がない。
学校が避難所になっている(そもそも、学校も被災して使えない)ため、子どもたちが廊下や床で勉強している。
田んぼに、海水・ヘドロ。今年は作付けは無理かも。
漁船がない。買えない。借金漬けになる。
養殖は結果が出るのは2、3年後。それまでの生活どうする。
宮城県の知事が「漁業権を企業に」と言っているが、漁師は怒っている。
--断片的に書きましたが、どれもが大変な事態ということがよくわかりました。
両親の家や周辺は河川に近いところですが、土地の高低のせいか津波の通り道にならず、ひざ下くらいまでで奇跡的に家には被害がありませんでした。
それでもガスの復旧が数日後、電気は1週間後、水道は1ヵ月後の復旧でした。
当時は市内にいても家に帰れず、ある方は4日ぶりに、残っていた線路を歩き渡ってきたそうです。
私の上の妹とも、私は当日に連絡が取れていたのですが、両親とは携帯などがつながらず、数kmも離れていない場所なのに無事を確認できたのは4日後でした。
「すべて流された地域からすれば、私らは天国に住んでいるようなもの」と、両親は言います。
こうやって無事に再会できるのですから、個人的には嬉しいことは違いありません。
一方で、今も苦しむ人が多くいることに、何か後ろめたい気持ちが残ります。
本当の意味での「再建」は、とてつもなく長い時間がかかることが、両親の話からもよくわかりました。
事情があって足を運べませんでしたが、必ず現地に行って何かの力になりたい。
北海道にも、津波の被害を受けた地域もあって、支援が必要です。
少しですが親孝行をして苦労をねぎらい、私も決意新たにがんばろうと思います。
【今日の句】 希望の灯 見える時まで 全力で