2012年8月19日日曜日

野呂榮太郎の、情熱の原点を知った

 以前のブログにも書きましたが、領土問題をめぐって双方が挑発の応酬をするのでなく、理性的な対応を取るべきだと思います。上陸しあったり、外交ルートの話までも閉ざすようでは、一向に解決が見えてこないのではないでしょうか。

 今日は札幌南区で後援会のまつり、西区で地域演説会などに回りましたが、どちらも領土問題での党の考え方については真剣に話を聞いてくださいました。

 双方に、一部の人たちが挑発的な対応を取ったにしても、政府レベルでは冷静な対応をすべきだと思います。

 その際に、みずからの国が領土だとする根拠を、くりかえし国際社会に訴えることが必要だとも思います。

 さて、まつりでは日本民謡も聞き、交流も深め、札幌を出た後は岩見沢市へ。

 党南空知地区委員会の、党創立90周年記念祝賀会に参加のためです。

岩見沢市から副市長さんをはじめ来賓の方も多くお越しいただき、私からも感謝の言葉を述べました。

 空知の党の先輩と言えば、長沼町出身の野呂榮太郎!

 小学2年のときに関節炎で片足を切断し、その障害ゆえに公立学校への入学を認められなかったのは有名な話。

 旧制北海中学・慶應義塾大学と進み、卒業論文として書いた「日本資本主義発達史」は日本経済学での大きな指針ともなりました。

 党中央委員長として活躍中に、スパイによって特高警察に逮捕・拷問を受けたことをきっかけに、33歳の若さで亡くなりました。

 野呂の情熱は、障害を負ったことが契機だと私は思っていたのですが、長沼町の副町長さんから聞いたお話に「なるほど!」と思いました。

 野呂の家も開拓農家だったわけですが、まだ基盤整備も十分でなく、旧夕張川の氾濫には苦しめられていたそうです。

 川をはさんで長沼町と南幌町が位置していて、水害が起きそうになると両町民が対岸に並ぶとのこと。

 相手町の方へ川が氾濫すると、自分たちの町が助かる--そこで対岸通しでにらみ合いのようになり、実際に相手町へ水が流れると万歳をして喜んだ姿もあった、とも。

 しかし、相手町だって困るに違いない--野呂がその光景に疑問を抱き、平等な社会にならないものかとの情熱が、ここで育まれたのではないか、とのお話でした。

 戦前から、このように心やさしく、公正な社会を願って党の先輩たちが活動していたことに、あらためて深く感銘しました。

 いま私は、この先輩たちの思いを継げているだろうか。

 いえいえ、継いでいかなければならないんです!

 あっちこっちとフラフラする政治家も多いなかで、ぶれずにスジを通す私たちが頑張らないと!と強く思った1日でした。

 【今日の句】 野呂ならば 総理に何て 言うだろう

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