
安井さんが被ばくしたのは21歳のとき、爆心地から1.87km地点でした。その後は北海道幕別町での教員生活を送るのですが、被爆者手帳を取得するのは退職後の1980年。それから被爆者運動に奮闘され、1999年に訴訟し、他の被爆者とともに合計9人の原告団として2003年には北海道原爆訴訟の先頭に立たれてきました。2010年に全員勝訴となりました。
安井さんの同僚だったという方が、子どもたちの合唱劇をどうするか話し合っていたときに安井さんが被ばくした話を聞いた、と述べられていました。安井さんにとって被ばくを他者へ伝えたのは、多分この時が初めてではないかということ。それだけ語るのには勇気がいることだったと思うのです。合唱劇は最後に、子どもたちが「原爆を許すまじ」を歌詞をうたわずハミングで合唱するということになったそうです。

たくさんのスピーチを、背筋が伸びる思いで聞きました。人の人生をふみにじることは許さない。罪もない市民の命を、一瞬にして奪う非人道的な兵器はなくすべきだ。遺影から、そう語りかけられているような気がしました。合唱団の「原爆を許すまじ」が、いつも以上に重く胸に響きました。
安井さんはじめ多くの被爆者が命がけの訴えをして、世界は核兵器を禁止する条約をつくるに至りました。しかし唯一の戦争被爆国でありながら、批准する姿勢を見せないのが日本政府。安井さんが生前、「日本はもっと世界にアピールしないとダメだ」と言っていたことが今なお続いているなんて、本当に情けないし腹立たしい。あらたな決意も湧いた偲ぶ会でした。

国連人権理事会から「帰還基準は1ミリシーベルトのすべき」と声明があっても、正面から受け止めない日本政府。避難指示解除を急ぎ、東電の賠償打ち切りも進めている現実を前に、裁判所でも政権よりの判決が出ていることに井戸さんは懸念を述べられました。参加者も同じような思いでいたと思います。司法の独立はどこに行ったのか、と。
井戸さんは「市民の声で裁判官魂に訴えてください」と強調されました。嘆いていても始まらない、気づいたところから行動する。政治の舞台にいる私も、市民と野党の共闘で
今の政権を何としても変える。そう考えると、やりがいもあるというものです。明日も元気にがんばろう!
【今日の句】折鶴の 願いを総理 知ってるか