宮坂尚市朗町長は式辞で、亡くなられた方お一人お一人の名前を読み上げました。多くの方が農家であったこともふまえ、町を切り拓いていった歴史も触れられました。無念の思いとともに、遺志を継いで前を向こうというメッセージに聞こえました。
来賓による追悼の辞のあと、遺族を代表して畑島武夫さんがお別れの言葉を述べました。何度も畑島さんのお宅の前を通って、手を合わせたことを思い出しました。お言葉の最後の「ありがとう」という、それだけの言葉でも重く心に響きました。
仮設住宅に入り一段落しつつも、これからの生活や住宅のことに対する不安は尽きません。在宅にて被災している方も、修繕にかかる費用の負担が重いと聞きます。農地や山林の復旧は、まさにこれからです。道や国へも訴えるべく、伊藤町議から新たな課題も聞きました。苦難軽減に力を尽くさねば。
今日は、いわさきちひろの誕生日。生きていれば100歳を迎えることになります。戦後、党の演説会に参加してから入党し、そのやさしさゆえ画家としての才能も発揮した、ちひろ。私が好きな19272年の随想「春のわかれ」を、今日の私の訴えの最後に紹介しました。
「もう何年も前のことだった。私が共産党員だということを知らなかったある雑誌の婦人編集者がびっくりしていった。『こんなやさしい絵を描く方が、なんでまた共産党なんでしょう』と‥‥。私は、本当はやさしいところがあったからこそ党員の絵描きになったのに」
人を人とも思わない社会の風潮だったり、自己責任を押しつけて殺伐とした日本にするような政治の責任だったり。そんななかで、誰もが人間らしく生きられる社会をつくろうという日本共産党の議員や党員が増やそうじゃないか--と呼びかけました。
かくいう自分も、そんな生き方をしているか。自問しながら明日もがんばりたい。
【今日の句】生きてたら ちひろは何を 描くだろう