2024年12月11日水曜日

除排雪に、国が財政支援を

  あいさつまわりを中心に、今日は札幌市西区・手稲区へ。せっかく来たからと「しんぶん赤旗」のご購読や、家に上がっての懇談など嬉しいかぎり。手稲区は佐々木明美前市議も、いっしょでした。

 「紙さんの後継でしょ。今度こそ国会に」など、あたたかい激励もいただきました。総選挙で日本共産党が後退して残念だったという方も、いろいろ話すなかで「やっぱり日本共産党にがんばってもらわないと」と前向きな話に。

 文面やSNSも大事ですが、こうして面と向かって話し合うことで力が湧いてきます。手稲区では時折、吹雪くような天気でしたが、いっしょにまわった党員さんも「楽しかった」と話されました。

 いろんな要望も出されたなか、本格的な冬を迎え、除排雪のことが話題になりました。札幌市は住宅街の路地だと、除雪車による「置き雪」があり、その排雪に追われることがあります。

 今日まわったお宅は自分で作業するそうですが、ご近所では1シーズン数万円で民間業者に頼んでいるよ、とのこと。結構な金額ですが、背に腹は代えられません。

 札幌市は町内会が負担し、市と折半する「パートナーシップ排雪制度」があります。しかし、町内の広さや人数による差などがあり、「負担が重い」と何度も改善が求められてきました。

 ようやく札幌市も市民の負担軽減へ検討を始めたようです。雪が降る地域にとっては、除排雪は重要な自治体業務の1つ。しっかり公的責任が果たせるよう、国も財政支援を強めるべきです。

 時には大雪で災害も発生します。豪雪地帯の自治体から、いつも国には要望が出されています。しっかり私も訴えていきたい。

 【今日の句】この雪も 春に恵みの 一滴に

2024年12月10日火曜日

今度は核禁条約の批准へ

 間もなく21時からおこなわれるノーベル平和賞授賞式。日本被団協の受賞を喜び、今度は核廃絶をと訴える道原水協の宣伝行動に参加しました。報道各社も多く、市民や観光客のみなさんの関心も高い。私も連帯のスピーチをおこないました。

 北海道合唱団が「原爆を許すまじ」「イマジン」の歌声を響かせ、長崎で被爆した宮本須美子さんがマイクを握りました。宮本さんは父が空襲の犠牲になり、母子で祖父母宅にいたときの被爆だったと読んだことがあります。

 宮本さんの「核兵器をなくしてほしい」という切なる思いが、ひしひしと伝わってきました。身近な家族が奪われ、生き延びても病気などに蝕まれ、差別や偏見にもさらされてきた重い歴史があるのです。

 それでも訴え続けてきた、被爆者のみなさん。直接の被爆体験は引き継げないけど、同じ悲劇は起こさせない思いをしっかり引き継ぎたい。

 北海道原爆訴訟の弁護団を務めた高崎暢弁護士も、マイクを握りました。同じく弁護団を務めた齋藤耕弁護士の姿も。高崎さんから「原告を務めた、亡くなられた方々も喜んでいることでしょう」との一言にグッときました。

 その1人である安井晃一さんからは、くりかえし話を聞いたことを思い出します。体調が良くないなかでも宣伝や集会に足を運び、いつも「命あるかぎり訴えます」と述べていた姿が目に浮かびました。

 札幌市白石区のJR平和駅前にあるノーモア・ヒバクシャ会館は、原爆被害の資料展示などをおこなう施設としては、広島・長崎以外では北海道だけです。

 きっかけは「被爆者が気兼ねなく話せる、いこいの家がほしい」との声でした。建設委員会でこの声に応えようと、会館建設に使うレンガを500円で買ってもらう「レンガ募金」が呼びかけられ、集まった総額は4500万円超となったのでした。

 被爆者のみなさんの活動、会館建設、訴訟と支援など核廃絶を求める世論と運動の歴史が、一気に押し寄せてくるようでした。その一端しか知らない私ですが、この思いに応え、来年こそ核兵器禁止条約を批准する政治に変えようと呼びかけました。

 集会の最後に道原水協の嶋田千津子事務局長が、ノーベル平和賞の授賞理由に「日本の新しい世代にメッセージを引き継いでいる」ことも上げられていると述べました。あらためて身が引き締まります。

 来年は被爆80年。ノーベル平和賞にとどまらず、今度は日本政府が核廃絶へ進むときです。私も全力を尽くしたい。

 【今日の句】引き継ごう 核廃絶へ あきらめない

2024年12月9日月曜日

日本が踏み出せば、もっと世界は変わる

 雪のなかの定例宣伝や、「9の日」行動に参加。明日のノーベル平和賞受賞式を前に、今こそ「核兵器なくそう」の声を広げなくてはとの思いでマイクを握りました。久しぶりの北海道は、やっぱり寒いですね。

 観光客も多く、マレーシアや中国、オーストラリアなどから見えられていたそうです。英語が堪能な小室正範さんが話しかけると「イタリアは戦争しない」と、同意してくれたイタリア人の方がいたとか。

 ロシアのウクライナ侵略やイスラエルによるジェノサイドなど、次々と命が奪われている世界の現実。だけど、平和を願って声をあげている市民が多くいるのも世界の現実です。

 韓国の尹大統領が突如に出した非常戒厳宣言にも、多くの韓国市民が立ち上がってストップさせました。民主主義の危機のときに、私たちはどのような行動を取るのか。考えさせられました。

 憲法9条をもつ日本が、そして唯一の戦争被爆国の日本が、核廃絶や平和外交へと大きく踏み出したら、もっと世界は変わっていくでしょう。変える力は、みなさんにある。もちろん私にもある。

 楽観はできないけど、衆議院での改憲発議は困難になっています。次は憲法を活かすとき。来年の参院選が大事になります。引き続き、よろしくお願いします。

 【今日の句】雪かきが 家に帰れば 待っていた

2024年12月8日日曜日

東北6県へ③

 みぞれ混じりの山形県でも、参院選への決起集会を開いた福島県でも、あたたかく「いっしょにがんばろう」と声をかけてくださるのがうれしい。今度は各地の課題もしっかり学びながら、地域密着の活動へと進みたいです。

 山形県は今年7月に、酒田市・大沢地区や戸沢村・蔵岡地区などで記録的豪雨被害がありました。集団移転の検討も進められていますが、家の再建費用が大きな課題となっています。

 これまでも全壊世帯に対し、被災者生活再建支援制度のもとで支援金は最大で300万円でした。再建するには少なすぎると、何度も日本共産党は増額を求めてきました。また同じ問題に直面しているのです。

 堤防も、計画されていたはずの80cm分が施工されていれば、越水を防げたかもしれないという指摘があります。事前に聞いていたので、街頭演説でも触れました。1区候補だった三井寺修さんと訴えました。

 山形駅に向かうと、県母親大会実行委員会のみなさんが太平洋戦争の開戦にあわせた赤紙配布と宣伝・対話の実施中。若い方も赤紙を受け取っていました。佐藤あき子山形市議も参加されていました。

 福島県では、党福島・相馬地区での決起集会。宮本しづえ・大橋さおりの両県議、村山くに子・山田裕の両福島市議も参加くださいました。岩渕友参議院議員のご両親も見えられていました。

 福島には現職のときに、県議選応援で来た地域でもあるので「久しぶり」との声も。自己紹介を含めて私からたっぷりと話させていただき、質問タイムも合わせて私のことも随分と知っていただけたと思います。

 宮本県議の話や、会場からの意見から「原発事故が忘れられているような国の姿勢」「賠償などに国が責任を」とありました。岸田政権で原発新増設へと転換したことも、本当に許されない。

 現職のときに参加した、福島農民連の方を中心とした国会要請行動のことを忘れられません。くらしや生業を奪われ、国や東電はどう責任を取るのか。

 今も戻れない故郷があり、原発事故は進行中なのです。あらためて身が引き締まる思いで、話をうかがいました。いっしょに力を合わせたい。

 ひとまず東北6県をまわり、これから北海道へ出発。今週末には北関東4県をまわりますので、引き続きよろしくお願いします。

 【今日の句】東北の 課題もいっしょに がんばるぞ