2024年12月10日火曜日

今度は核禁条約の批准へ

 間もなく21時からおこなわれるノーベル平和賞授賞式。日本被団協の受賞を喜び、今度は核廃絶をと訴える道原水協の宣伝行動に参加しました。報道各社も多く、市民や観光客のみなさんの関心も高い。私も連帯のスピーチをおこないました。

 北海道合唱団が「原爆を許すまじ」「イマジン」の歌声を響かせ、長崎で被爆した宮本須美子さんがマイクを握りました。宮本さんは父が空襲の犠牲になり、母子で祖父母宅にいたときの被爆だったと読んだことがあります。

 宮本さんの「核兵器をなくしてほしい」という切なる思いが、ひしひしと伝わってきました。身近な家族が奪われ、生き延びても病気などに蝕まれ、差別や偏見にもさらされてきた重い歴史があるのです。

 それでも訴え続けてきた、被爆者のみなさん。直接の被爆体験は引き継げないけど、同じ悲劇は起こさせない思いをしっかり引き継ぎたい。

 北海道原爆訴訟の弁護団を務めた高崎暢弁護士も、マイクを握りました。同じく弁護団を務めた齋藤耕弁護士の姿も。高崎さんから「原告を務めた、亡くなられた方々も喜んでいることでしょう」との一言にグッときました。

 その1人である安井晃一さんからは、くりかえし話を聞いたことを思い出します。体調が良くないなかでも宣伝や集会に足を運び、いつも「命あるかぎり訴えます」と述べていた姿が目に浮かびました。

 札幌市白石区のJR平和駅前にあるノーモア・ヒバクシャ会館は、原爆被害の資料展示などをおこなう施設としては、広島・長崎以外では北海道だけです。

 きっかけは「被爆者が気兼ねなく話せる、いこいの家がほしい」との声でした。建設委員会でこの声に応えようと、会館建設に使うレンガを500円で買ってもらう「レンガ募金」が呼びかけられ、集まった総額は4500万円超となったのでした。

 被爆者のみなさんの活動、会館建設、訴訟と支援など核廃絶を求める世論と運動の歴史が、一気に押し寄せてくるようでした。その一端しか知らない私ですが、この思いに応え、来年こそ核兵器禁止条約を批准する政治に変えようと呼びかけました。

 集会の最後に道原水協の嶋田千津子事務局長が、ノーベル平和賞の授賞理由に「日本の新しい世代にメッセージを引き継いでいる」ことも上げられていると述べました。あらためて身が引き締まります。

 来年は被爆80年。ノーベル平和賞にとどまらず、今度は日本政府が核廃絶へ進むときです。私も全力を尽くしたい。

 【今日の句】引き継ごう 核廃絶へ あきらめない

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