ここはもともと沢でした。それが証拠に、このマンホールの蓋には「河」というマークが大きく書かれています。先ほど暗渠と書いたのは、そのような理由です。
ご近所の方の話を総合すると、造成する時に水を抜いて埋めたときの土がゆるく(火山灰?)、当時は「大丈夫」と言われていたものの何年か経って道路が下がっていくのがわかり(水たまりができていくからです)、市道ですから市へも話していた方もいたそうです。これまでの経過を検証する必要があります。
この地域は「地盤が弱い」というより、埋めた時の土がゆるかったのではないか、ということが本質かもしれません。今も沈んだ方へ引っ張られている(傾いている)という家もありました。札幌市の調査がない家もあり、さっそく党市議団を通じて連絡を入れて、職員が訪問することになったと聞きました。住んでいる方が先を見通せるように、原因と方法も明確にしての緊急工事、その見通しを住民に知らせるとともに、当面の居住対策(市営住宅は50戸用意するとしています)や通学の保障を急いで検討する必要があります。
厚真町では町役場を訪れ、宮坂尚市朗(みやさか・しょういちろう)町長が時間を割いて状況を話してくださいました。この時点でも安否不明が8人おられるなか、懸命な救助のもと「私も覚悟を持って」と話され、「昨日までいっしょにご飯を食べていた家族が‥‥」と述べた後に言葉が詰まった町長さん。聞いていた私たちも胸が苦しくなりました。本当につらい時間を、町民も町長さんも過ごされてきたんです。
近くの避難所では、家族を亡くされた方と偶然、話を聞くことができました。探してもらったことへの感謝とともに、苦しいのは今みんな同じ、という気丈な言葉が重かったです。具体的にいろんなことを聞きましたが、まだ捜索中でもあるのですし、私は書くのを避けます。避難所のなかではプライバシー保護やトイレの問題が、以前に聞いた要求とも同様にお聞きしました。受付にいた町職員は「経験を持っている道職員などが来てくれて、とても助かっている」と話されていました。災害対応の経験ある方を、道がイニシアチブを発揮して組織してほしいし、東北地方を中心に応援が入り始めていることも現場でありました。
宮坂町長さんからも行ってほしいと言われて、吉野地域と富沢地域に行きました。私が来た一昨日は近づけませんでしたが、救援が進み土砂をよけることができて通った道を行ってビックリ、道路の左右が土砂の壁となっているほどなのです。実際に現場へ行き手を合わせ、大木や土砂が一気に家を飲み込んだのだろう当時のことを考えたら胸が痛みました。
まだ救助作業中の現場では、偶然にも伊藤町議と知人の自衛隊員さんがいました。地域の運動会で楽しく競い合った仲で、厳しい環境のなかで一瞬、笑顔が交わされました。町民のくらしを知っている隊員さんらしく、救助のポイントもやみくもに掘るのでなく、その人が生活に必要としていた部分を見つけたら優先的に探すことをしていると教えてもらいました。隊員の疲労もあるでしょうが、私たちからも敬意を表しました。
明日は紙智子・岩渕友の両参院議員とともに、むかわ町・安平町へ行きます。聞いたことは、しっかり反映させます。
【今日の句】人の手が あたたかいんだと 知る日々に