2012年3月24日土曜日

熱気あふれた札幌演説会

市田忠義書記局長を招いた、札幌での演説会。会場いっぱいに足を運んでいただき、本当にありがとうございました。

 同じ時間で、岩内町での泊原発再稼働反対集会、札幌市・小樽市でTPPシンポ・フォーラムなどもあり、壇上で私からも「敬意と連帯」を述べました。

 市田さんも話していましたが、悪天候のため東京からの飛行機が時間通りに着くか微妙な状況で、「その時は代わりに1時間話してもらうから」と冗談も言われていたのが、開始の2時近くになっても、まだ市田さんが会場にたどり着けない‥‥汗をかき始めたところで何とか間に合ってもらえました。

 さて演説会では、私から道内での共産党への期待の声を紹介し、北海道のくらしと地域経済を守る3つの政策も訴えました。その柱は、

 ①農林漁業と関連中小企業などへの支援強化

 ②防災・医療・介護など「命を守る雇用」の創出

 ③原発をやめ、自然エネルギーの爆発的普及

 今日の演説の様子は日本共産党北海道委員会のHPにもアップされると思いますので、ぜひ中身はご覧ください!

 札幌白石区の姉妹孤立死に象徴されるように、お金がなければ生きてもいけないという、あまりにひどいこの国。

 それなのに、民主・自民・公明そろって消費税増税、労働者派遣法の骨抜き、原発の再稼働‥‥「金持ちしか生きられない日本」にするのか、「誰もが安心して暮らせる日本」にするのか、分かれ道の時だと思います。

 一昨日の福島での経験も含めて、何としても北海道での党衆議員議席奪還に力を貸してほしいと私から訴えました。

 市田さんの話も、党の「提言」の中身、原発とTPPの問題点、90年間の日本共産党の確信、外交、政党のあり方‥‥全面的な話に時間も足りなくなるほどでした。

 消費税増税もTPPも反対の声が多数で、原発も撤退の声が多数です。

 しかし、北海道の比例ブロックから、その声を代弁する議席がないのが実態。

 市田さんからも「だから何としても、はたやまさんを国会へ!」と話され、私自身も確信になりました。

 帰途に着くみなさんのお見送りに玄関まで走ると、会場の熱気そのままに強く握手しあいました。

 演説会を終えてすぐに札幌市内でのTPPフォーラムに顔を出して、参加した私の方が激励も受けました。

 この期待に、何としても応えないと!

 【今日の句】 さあ明日も 希望を拓く 道を行こう

2012年3月23日金曜日

保育料値上げは、保育の理念を変えてしまう

活動の合間に札幌市役所へ向かいました。予算特別委員会で「保育料引き上げ」「児童クラブ有料化」反対での陳情趣旨説明と質疑があり、私も傍聴するためです。

 私の子どもたちが通う保育園の父母会からも陳情を出していて、今日の趣旨説明では保育連係の青木さん(父)が保護者の現状を代弁してくれました。

 青木さんからは「生活が苦しい保護者が多く、子育てにもお金がかかる現実がある。保育料値上げはやめてほしい」と話され、傍聴席からは背中しか見えませんが各市議も真剣に受け止めただろうと思います。

 また、真剣に受け止めてもらわないと困る!わけです。

 札幌市には各種基金もあるし、免除されている北電・北ガスなどの電柱使用料を適正に徴収することなど、やれるべきことは多くあります。

 委員会室にはテレビカメラも入り、緊張した雰囲気が漂いました。

 陳情説明が終わり、私は質疑の途中で抜けざるを得ませんでしたが、果たして保護者の切実な願いが反映された議論になれたか。

 27日(火)が陳情採択・予算採決となります。

 これまでの札幌市は「待機児童を解消するが、そのためにも今後の安定的な運営財源が必要」だから保育料値上げというのが、その根拠でした。

 しかし先に書いたように、財源確保の別の道があるし、何より福祉としての保育という理念が薄れていくことになるのを私は危惧します。

 このままでは行き着く先は「お金のある人は十分な保育が受けられる」という仕組み、となってしまいます。

 いろいろある中ですが、一人の保護者として保育料値上げストップ!へ力を尽くしたい。

 さて明日は、市田忠義書記局長が来札しての演説会です!

 日本共産党演説会
   ●3月24日(土)14:00~
    ニトリ文化ホール(札幌市中央区北1条西12丁目)
   ●弁士:市田忠義書記局長、はたやま和也
   ●入場無料、手話通訳・臨時保育あります

 この日は岩内町で泊原発再稼働を許さない集会や、札幌でもTPPストップへ向けたフォーラムなどもあるのですが、どこも満員になるよう!‥‥まわりの方もお誘いくださいね。

 【今日の句】 財政難 子どもに責任 回させぬ

2012年3月22日木曜日

福島へ・2日目

 2日目の福島・いわき市も晴れ! 今日の日程は、午前中は市役所で現状と課題を聞き、午後は津波被害の現場を行きます。

 お話を伺ったのは、渡辺博之市議と市行政経営部・原子力災害対策課の高萩正人課長さん。

 年度末で忙しい時ですが、お時間を取っていただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 渡辺市議からは、雑誌「経済」にも寄稿されている福島原発での下請け労働者の実態について聞きました。

 多重派遣や中間搾取の問題は、かねがね各種報道でも指摘されてきました。

 1人1000円の中間搾取ができれば、50人派遣で1日5万円。1ヶ月で150万円にもなります。

 それが多重に仕組まれれば、労働者の手元には1/3ぐらいしか残らないということにもなります。

 福島だけでなく全国的な問題だけに、北海道での実態把握を強めないと!

 渡辺市議からは漁業の実態も伺いましたが、漁師の「魚の状況を調べたい」という粘り強い運動で県による検査も始まっている中で、国の腰の重さへの不満もあると言います。

 1年間も漁に出られないと意欲の減退も心配され、その中を「先が見えない中で、一緒に模索している」という渡辺市議の言葉が印象的でした。

 高萩課長さんからのお話は、震災・事故当日の生々しい状況から始まり、お願いしていた徐染の現状と課題、給食などへの対応、検査機器の稼働状況、農水産物や観光など経済への影響、ヨウソ剤の備蓄と配布など、すべてに渡って詳しく話してくださいました。

 徐染については、国の基準が0.23μSv/hを超えるものとなっており、いわき市ではそれ以下の地域も多く「混在状況」だからこその作業の大変さが課題となっています。

 高濃度で汚染された自治体は全面的に作業へと進みます(これだけでも大変なのは変わりませんが)が、混在してる状況だからこそ細かく計測をしていかなければいけない作業もつきまとうわけです。

 国よりもメッシュ間隔を狭くして2kmとしていましたが、さらに狭い範囲で測定して地図に落とし、来年度からはモデル地区で5mおきに測定していくそうです。

 原発に近い市北部のから始めるそうですが、久之浜地区だけでも1700世帯(うち400戸は津波被害を受けましたが)あり、これだけでも一大プロジェクトです。

 しかし家族を持つ世帯などの流出もあり、働き手の確保も容易ではありません。

 悩ましい課題を前にしながら、やりぬこうと頑張る高萩課長さんら市職員の奮闘には胸が打たれました。

 市職員も家を被災し、原発事故直後には市民に屋内退避などを呼びかけつつ、みずからは給水や安全確認などにも回っていたわけです。

 「それが職員の仕事だ」と言えばそれまでですが、聞いていて切ない感情を持ちました。

 これが原発事故なんだ。

 それだけの被害が住民と自治体に広範囲で長期間に及び、この瞬間も放射能に不安を感じつつ、生活していかなければいけないんです。

 自分に何ができるんだろう、と考え込みました。

 それだけ、福島・いわき市の現実は重い。

 昼食後には仮設住宅や塩屋崎まで足を伸ばしました。

 塩屋崎の付近も津波により多くの世帯が被害を受け、その時の写真が、被害を免れた近くのお店に貼られています。

 あらためて津波の威力に驚きます。

 学校の校庭がガレキ置き場となっていましたが、近くで見ると生活用品も数多く見られました。

 一言で「ガレキ」とまとめられますが、そこには「生活」も「人生」もあったわけです。

 胸が痛む、という表現しか浮かばない瞬間。

 ちなみに短時間しかなかったのですがガレキの放射線量もはかり、空間線量より少し高い程度でした。

 塩屋崎には美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑があり、そこにも震災募金の箱が置かれていましたよ。

 これで全行程は終了となったわけですが、2日間で目の前にした現実の重さは簡単に表現できません。

 伊東さんが「放射能が人を分断した」と述べてましたが、本当にその通りだと思いました。

 きれい事ばかりでも進まない現実も、一人ひとりが悩みながら残ったり引っ越したりしている現実も、いま進行中のもの。

 少なくとも、これだけの被害を及ぼす原発は撤退が一番の解決策だということはよくわかりました。

 これから報告集をつくりながら考えもまとめたいと思います。

 道へ要請しておかないといけない問題もある、と思いました。

 何より、自民・公明政権から民主党政権へと、国策として進められてきた原子力行政の転換がどうしても必要です。

 そのためにも、私たち日本共産党が頑張らなければ。

 北海道では、私が頑張らなければ!

 【今日の句】 悔しさも 怒りもすべて 力にし

福島へ・1日目

 飛行機と特急を乗り継ぎ、いわき駅から福島での行動はスタート!です。やや風が強かったものの日差しがあり、春を思わせる気温でした。写真は、到着したいわき駅構内です。

 福島の実態を学び、北海道でどのような活動を広げたらいいか--北海道からの原発連調査団は私含む5人で、現地では原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さん、原発問題福島県民連絡会代表の早川篤雄さんに案内していただきました。

 まずは車に乗り、広野町・楢葉町をめざします。

 ちょうど町の堺が20km圏に当たりまして、そこからは一般人は立入禁止となります。

 早川さんは楢葉町在住で障がい者支援の社会福祉法人運営にも関わっており、証明書を持参して一時帰宅や作業所清掃などへも戻っているそうです(楢葉町の写真は、早川さん提供のものです)。

 震災・事故当日は、いわき市に住む伊東さんの元へ早川さんらが避難したそうですが、国道6号線は数珠つなぎで進まず、45分で来れる迂回道路も3時間半かかったと言います。

 いわき市は一部が30km圏に入り、当時の混乱もあり市民が自主的にも避難を始め、公式発表でも5万人が当時は避難したと言います。

 車で当時の話を伺いながら進むと、平(たいら)地域では空間線量が0.19μS/hを示していました。いわき市は、現在0.18ぐらいだそうです。

 3分走ると0.21、もう少し走ると0.24‥‥どんどん近づくに連れて数値が上がります。

 もちろん地域によっては値が下がるし、トンネル内でも一気に値が下がるなどあります。

 広野町へ入ると0.5μSv/hを示しました。

 広野町は人口約5400人で、避難準備区域が解消されて4月から役場や学校などの再開を予定しています。

 しかし戻っても仕事はあるのか、子どもの被ばくは大丈夫か、店を始めても売れるのか‥‥などで、どれだけの方が戻るのかわからない状況です。

 大きなアパート(マンション?)がありましたが、天気のいい日にもかかわらず洗濯物は干されていません。住んでいる人がいないのです。

 楢葉町との堺・20km圏まで来ると0.8μSv/hとなりましたが、一時的に1μSv/hを超える地域もありました。

 「今日は風が強いので、付着していたものも飛んでいるんでしょう」とは早川さん。

 検問所の警官のヘルメットには「山口警察署」と書かれており、全国からの応援体制がとられています。

 この検問所から右に曲がればJビレッジでして、ここが作業員らの「前線基地」(伊東さん)となるわけです。

 楢葉町の現状ですが、早川さんの話をまとめると以下のようです。

 ●自分も水田を持っていたが1年間何もできず荒れ放題(写真)。もう1年このような状況が続けば、元に戻せなくなる。

 ●町の中は誰1人いない。車で原発へ向かう作業員が通るのみ。歩道を歩く人もいない、信号は点滅してるだけ。

 ●地震の後片付けもされていない(写真)。瓦屋根が壊れている家は、一時帰宅の際に少し補修しているようだが、町は震災の日のままだ。

 現実の言葉は重く、こんな簡単にまとめられる内容ではありませんで、書いた中身も一部です。

 話を聞く瞬間にも、そばを作業員・関係者の車が行き交い、第一原発に運ぶのだろう人1人が立ってもスッポリ入れるような管をいくつも運ぶトラックも見かけました。

 いわき市に戻ると0.5、0.3と下がっていくわけですが1μSv/hに慣れたせいか、ふと「下がって良かった」と思いました。

 でも、この値でも徐染が必要なわけで、自分の感覚がずれていることにハッとします。

 いわき市では、津波被害を受けた四倉地区や久之浜地区を通りました。

 土台しか残っていない地域を抜けると、久之浜漁港に到着です。

 水揚げ市場は復旧されていませんが、小型の漁船が港には並んでいます。

 午後だから漁に出ないのではなく、この1年間、漁に出れないでいるのです。

 「すぐ船を沖に出せて、津波があっても7割の船が大丈夫だった。宮城や岩手は7割の船がダメになった。しかし放射能汚染で、その7割の船も漁に出られない」とは伊東さん。

 船があっても漁に出られない、漁師の方の無念さが心に残ります。

 津波被害に加え原発被害という「二重の苦しみ」を、目の当たりにした感じです。

 伊東さんのお宅に戻り、よく詳しく専門的にも話をうかがいました。

 何より原発事故は「水害・火災などの被害概念とは、違う概念を持つ必要がある」との伊東さんの指摘は、各地を回るなかで痛感しただけに納得です。

 福島県の復興計画には「人類史上経験のない災害」と規定されていますが、行政でさえ認める現実の重さを、もっと強調しなければならないと思います。

 賠償、内部被ばく、交通網寸断、ヨウソ剤配布と使用、中間貯蔵施設、子どもの放射能検査‥‥それぞれで福島・いわきの現状を伺いました。

 運動面での大きな問題は「住民同士の関係」です。

 避難する人・残る人、それぞれの理由や事情があります。

 しかし、それが感情的にもつれたりするなどもあり、本来は向かうべき責任の当事者=東電や国に目が行かないこともあります。

 良くも悪くもマスコミ報道に動揺せず、住民運動のリーダーたちがどう県民・国民をつないでいくか--そのような話を重く受け止めました。

 2日目は、市議・市職員さんから現状と課題を伺い、仮設住宅なども回る予定でいます。

 北海道で何ができるか、考えながら役目を果たしたいと思います。

 【今日の句】 風景は 変わらぬままの 春なのに

2012年3月20日火曜日

明日、私の行く先は‥‥

福島県です! 原発問題全道連絡会で、北海道での活動をさらに広げるために福島調査団を組むことになりまして、代表委員でもある私が行くことになったわけです。

 他の参加は岩内町・大田勤町議ほか3名で、私で計5人。

 2日間の予定ですが、ざっと次のようなスケジュールです。

 【1日目】 いわき市まで移動した後、全国センターの方の案内で楢葉町・広野町へ行き、その後は福島県で活動している方の報告・意見交換。

 【2日目】 いわき市議から漁業問題・下請け労働者問題を、いわき市職員から被災地の現状や復興・除染、学校給食などの項目を聞き取り。午後からは仮設住宅や津波被害の現地調査など。

 日程としては結構ハードなのですが、得られた福島の実態や事実を北海道内に知らせ、全面賠償と原発撤退の世論をさらに大きくしたい。

 今日は資料を読み込み、党白石・厚別地区委員会から線量計も借り、必要な作業服なども準備して‥‥緊張感も高まります。

 普通の旅行ではないですが、それにしても国内を移動するのに放射能汚染を気にしながらだなんて、やっぱり尋常ではない。

 福島県に残る人、避難で県外に出た人‥‥それぞれに思いはあってのことですが、その結果、地域コミュニティが壊されてきているという話を聞くと心が痛みます。

 どこまで詳しく書けるかわかりませんが、明日からのブログにも載せていきますので、ぜひお読みください!

 【今日の句】 収束と 言った首相は 行くのかな

2012年3月19日月曜日

郵政もJRも、安心して働ける職場になっているか

  目覚めて外を見ると、雪が積もっていた札幌。全道一帯が真冬に戻ったみたいでした。

 厳しい寒さが残るなか、向かった先は厚別郵便局前。

 郵政産業労働組合北海道地方本部・札幌南東支部のストライキ突入支援集会です。

 賃金引き上げとともに、広がる非正規雇用の雇い止めをやめさせ、正社員化への道も要求している今年の春闘。

 組合員のみなさんからは「たった一度の誤配で解雇なんて許されない」「正社員化は国会でも約束されたものだ」と、力強いあいさつが。

 私からも昨年11月に総務省、今年になってからは郵便局・郵便事業の各北海道支社へと要請した内容も述べました。

 支社は「法令違反があれば正す」とはしているものの、支店などの報告を見ると「そのようなことはない」との回答だけに、現場からの実態告発が大事だと痛感しています。

 総務省に至っては「一つ一つの事例には応えられない」「事態は注視する」と、監督責任を放り投げるような態度でもありました。

 郵便事業会社で言えば、正社員と同じ仕事をしていながら、実に職場の半分が契約社員という職場もあります。

 郵政グループでは約4兆円もの内部留保があると、郵産労では正社員化促進を要求しています。

 その後、JR北海道本社に向かい紙智子参議院議員と、相次いだ列車事故の再発防止策や、関連して職員の採用計画についての聞き取り・要請をおこないました。

 組織形態の改変は報道済みですが、単に管理部門のチェック機能を強化するだけでなく、検査はじめ現場での人的補強が必要だと思います。

 検査にしても、全般検査や交番検査などがありますが、この間の規制緩和で検査機関が延長されてきただけに、自主的にでも期間を縮小するべきです。

 検査の外注化が進み、本社が責任を負っているのかという問題もありましたが、これは本社として一元化して責任を負う仕組みにするとのこと。

 前進ですが、書面チェックのみで「一丁上がり」にならないような、中身の検討も必要です。

 人的補強は2013年度に300人へ採用を増やし、他の職業経験者からの中途採用も増やす予定となっています。

 「必要なのは即戦力」ということなのですが、それなら国鉄民営化の際に採用差別された方々こそ職場に戻してはどうなのか。

 和解内容で唯一、実現していないのが雇用問題でもあるわけです。

 郵便事業でもJRでも、民営化にともない人減らし・合理化がはかられました。

 過剰な人員削減が、今のJR北海道のような、いびつな年齢構成と技術継承の遅れを生み出していると思います。

 結局は、短期的な利益を求めて、長期的には損失を広げたわけであって、今からでも転換すべきではないでしょうか。

 政治を見れば、民・自・公の3党で労働者派遣法は骨抜きとされ、財界の側に立った状況は民主党政権のもとでも変わっていません。

 運動とともに政治の転換を! 私もがんばります。

 【今日の句】 現場知る 労働者こそ 宝かな

2012年3月18日日曜日

胸いっぱいの卒園式

今日は休暇をいただき、娘の卒園式に参加しました。もう卒園なんだ‥‥何だか、あまり実感が湧かないままに園へと向かいました。

 玄関を入り保育士さん達の「おめでとうございます!」で、やっぱり今日は特別な日なんだよなぁ、と。

 1人1人の入場、証書を受け取り手に掲げてグルリと1周、卒園式用の歌‥‥というぐらいの内容は、どこの保育園でもおこなうもの。

 娘の通う保育園は、ここからが長い!のです。

 というのも、学んだリズムや歌に跳び箱‥‥小さい時から見ていたリズムが、次々と繰り返されます。

 1人1人が主人公。

 仲間のなかで、育ってきた証。

 月並みな言い方ですが、これだけ大きくなった娘や、クラス全員の姿に、胸がいっぱいになりました。

 成長していく姿は、嬉しくもあり、寂しくもあり、愛おしくもあり。

 幸せな「子ども時代」を過ごすことができて、ここの保育園には感謝してもし足りません。

 子どもたちだけでなく、保護者も総出で夏祭りなど行事をおこない、キャンプにも行き泊まりにも行き‥‥この連帯感が子どもたちにも伝わっていれば喜びです。

 まだ下の子が0歳児クラスなので、もう6年この保育園にはお世話にもなるし、上の子は系列の学童保育でもお世話になるので、まだまだ忙しくもなりそうです。

 子どもたちが仲間のなかで、信頼できる大人のなかで、過ごせるほど幸せなことはありません。

 競争原理を持ち込み、「細切れ保育」を持ち込み、保護者の自己責任のみで子育てをさせようとする、子ども・子育て新システムはだから絶対に認められない。

 子どもたちの成長を考えるならば、現行制度をいかに拡充していくか、公的な責任で保育園をいかに増やしていくかが大事なのではないでしょうか。

 私も新たな気持ちで、子どもたちの今と未来のために、力を尽くしてがんばります!

 【今日の句】 一瞬の 今を生きてる 子どもたち