2012年3月22日木曜日

福島へ・2日目

 2日目の福島・いわき市も晴れ! 今日の日程は、午前中は市役所で現状と課題を聞き、午後は津波被害の現場を行きます。

 お話を伺ったのは、渡辺博之市議と市行政経営部・原子力災害対策課の高萩正人課長さん。

 年度末で忙しい時ですが、お時間を取っていただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 渡辺市議からは、雑誌「経済」にも寄稿されている福島原発での下請け労働者の実態について聞きました。

 多重派遣や中間搾取の問題は、かねがね各種報道でも指摘されてきました。

 1人1000円の中間搾取ができれば、50人派遣で1日5万円。1ヶ月で150万円にもなります。

 それが多重に仕組まれれば、労働者の手元には1/3ぐらいしか残らないということにもなります。

 福島だけでなく全国的な問題だけに、北海道での実態把握を強めないと!

 渡辺市議からは漁業の実態も伺いましたが、漁師の「魚の状況を調べたい」という粘り強い運動で県による検査も始まっている中で、国の腰の重さへの不満もあると言います。

 1年間も漁に出られないと意欲の減退も心配され、その中を「先が見えない中で、一緒に模索している」という渡辺市議の言葉が印象的でした。

 高萩課長さんからのお話は、震災・事故当日の生々しい状況から始まり、お願いしていた徐染の現状と課題、給食などへの対応、検査機器の稼働状況、農水産物や観光など経済への影響、ヨウソ剤の備蓄と配布など、すべてに渡って詳しく話してくださいました。

 徐染については、国の基準が0.23μSv/hを超えるものとなっており、いわき市ではそれ以下の地域も多く「混在状況」だからこその作業の大変さが課題となっています。

 高濃度で汚染された自治体は全面的に作業へと進みます(これだけでも大変なのは変わりませんが)が、混在してる状況だからこそ細かく計測をしていかなければいけない作業もつきまとうわけです。

 国よりもメッシュ間隔を狭くして2kmとしていましたが、さらに狭い範囲で測定して地図に落とし、来年度からはモデル地区で5mおきに測定していくそうです。

 原発に近い市北部のから始めるそうですが、久之浜地区だけでも1700世帯(うち400戸は津波被害を受けましたが)あり、これだけでも一大プロジェクトです。

 しかし家族を持つ世帯などの流出もあり、働き手の確保も容易ではありません。

 悩ましい課題を前にしながら、やりぬこうと頑張る高萩課長さんら市職員の奮闘には胸が打たれました。

 市職員も家を被災し、原発事故直後には市民に屋内退避などを呼びかけつつ、みずからは給水や安全確認などにも回っていたわけです。

 「それが職員の仕事だ」と言えばそれまでですが、聞いていて切ない感情を持ちました。

 これが原発事故なんだ。

 それだけの被害が住民と自治体に広範囲で長期間に及び、この瞬間も放射能に不安を感じつつ、生活していかなければいけないんです。

 自分に何ができるんだろう、と考え込みました。

 それだけ、福島・いわき市の現実は重い。

 昼食後には仮設住宅や塩屋崎まで足を伸ばしました。

 塩屋崎の付近も津波により多くの世帯が被害を受け、その時の写真が、被害を免れた近くのお店に貼られています。

 あらためて津波の威力に驚きます。

 学校の校庭がガレキ置き場となっていましたが、近くで見ると生活用品も数多く見られました。

 一言で「ガレキ」とまとめられますが、そこには「生活」も「人生」もあったわけです。

 胸が痛む、という表現しか浮かばない瞬間。

 ちなみに短時間しかなかったのですがガレキの放射線量もはかり、空間線量より少し高い程度でした。

 塩屋崎には美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑があり、そこにも震災募金の箱が置かれていましたよ。

 これで全行程は終了となったわけですが、2日間で目の前にした現実の重さは簡単に表現できません。

 伊東さんが「放射能が人を分断した」と述べてましたが、本当にその通りだと思いました。

 きれい事ばかりでも進まない現実も、一人ひとりが悩みながら残ったり引っ越したりしている現実も、いま進行中のもの。

 少なくとも、これだけの被害を及ぼす原発は撤退が一番の解決策だということはよくわかりました。

 これから報告集をつくりながら考えもまとめたいと思います。

 道へ要請しておかないといけない問題もある、と思いました。

 何より、自民・公明政権から民主党政権へと、国策として進められてきた原子力行政の転換がどうしても必要です。

 そのためにも、私たち日本共産党が頑張らなければ。

 北海道では、私が頑張らなければ!

 【今日の句】 悔しさも 怒りもすべて 力にし

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