2020年10月2日金曜日

危険な本質が現れた

 自民・杉田水脈議員の女性蔑視発言、そして菅首相の学術会議人事への介入--抗議の声をと緊急街頭宣伝。こんなことを野放図に認めておくわけにはいきません。

 杉田議員はブログで発言があったことを認め、女性のみがウソをつくかのような印象を与えたことを詫びましたが、発言の撤回はしていません。しかも、この言いぶりでは男性も同じようなウソをつくこともあるので、女性だけに触れたのは間違いだったということになります。性被害・性暴力の苦しみを、まったく受け止めないばかりかセカンドレイプに当たる発言として看過できない。

 これまでも杉田議員は、LGBTの方々は「生産性のない」人と述べたり、国会で選択的夫婦別姓を質問した野党議員に「それなら結婚しなければいい」とのヤジを飛ばしてもきました。女性蔑視発言は単なる言い間違いでなく、杉田議員の根本的な思想の問題です。重要なことは、そのような人物を比例名簿1位にしてきた自民党の責任です。

 私も比例名簿1位候補の経験がありますが、党の公認として、その党の主張や政策を反映させていくことが基本になります。また、その党を応援して比例選挙で政党名を書いた方もいるわけですから、党として議員・候補の言動には責任を負っています。問われているのは杉田議員であり、自民党そのものです。今でいえば、総裁である菅首相の姿勢も問われているのです。

 さて、その菅首相。日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否しました。学術会議は「学者の国会」とも呼ばれ、国から独立した機関として、真理追求の立場から研究や発信をおこなってきました。人事も、研究成果などをふまえ内部で推薦した方々を、首相が形式的に任命してきたのです。ところが今回、初めて任命が拒まれました。

 それなら菅首相には説明する責任があるのに、何も示されていません。それを普通は「問答無用」というのであって、ファッショ的ともいうべき介入です。6人の方は安保法制や共謀罪法などに異議を唱えた方々とされていますが、それは学問的見地による意見表明です。菅首相は、学問は権力を支えるもの、権力に都合のいい学問しか認めないというのでしょうか。違うというなら、任命しない理由を明らかにすればいい。

 日本では戦前に、京都帝国大学で「滝川事件」が起きています。滝川幸辰(ゆきとき)教授の刑法観が「赤化思想」=アカだとして、国会議員らが大学からの追放を主張したのです。文部省(当時)が休職処分を強行し、本の発禁処分まで実施されました。まさに「赤狩り」としての滝川事件には全国の教授や学生が反対の声をあげたものの、国による学問支配のもとで日本は侵略戦争に突き進んでいったのです。

 その反省から積み上げられてきたのが憲法の「学問の自由」であり、日本学術会議の存在です。安倍首相でさえしなかった学術会議への権力的介入を、菅首相が踏み込んだ意味は大きい。危険な本質の一端が現れたということです。

 国会では野党が一致して追及することとし、マスコミの報道も相次いで、SNS上での抗議の声も広がってきました。北海道での世論を広げるために、私も力を尽くしたい。

 【今日の句】あからさま 従わぬなら 排除にと

3 件のコメント:

  1. 安倍政権の継続はもうごめんです。

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  2. 安倍政権の継続はもうごめんです。

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  3.  CCCMMMさん、コメントありがとうございます。
     返信が遅くなり、申し訳ありません。
     引き継いだ菅政権も、早く変えなければならないです。

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