
戦争が始まった時は羽幌鉱山、戦後は天塩炭鉱にて働いた橋場さん。党に入ったのは意外と遅く28歳。炭鉱住宅近くの河原で入党式をしたといいます。当時の党は分裂から統一へと向かっていく時期で、橋場さんは「レポーター」(連絡員?)としての活動をしたそうです。浅野炭鉱では、うたごえの活動や労組の書記、さらに保安係の資格が取れて坑内の監督もしていたといいますから、橋場さんへの信頼の厚さが伝わってきました。

会葬御礼状には、喪主・橋場富美子さんが書かれたのだろう、次のような一文がありました。「日本共産党員として、みなさんのご支持を受けて、十期四十年間町議会議員として働かせて頂きました事は、故人においては誇りでもあり明日への活力になったと思います」「個人は山が好きで山菜をとることを楽しみにしていました。山菜にも愛情をもって接し『莟みのある野草はとってはいけないよ』と云っていました」。
誰にでもあたたかく、自分の人生と社会進歩を重ねた生き方を最後まで貫いた橋場さん。こういう大先輩の志も、人としての生き方も引き継いで、党を大きくすることで応えていきたい。今日は道自治労連の定期総会で、あいさつにもとまわりました。
【今日の句】揺るがずの 意味がしみじみ 身に染みる
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