核兵器は今年1月の時点で、ロシアの5580発・米国の5044発という突出した両国を含め、9ヵ国で1万2121発を有しています。そのうち約2100発は、数分以内に発射可能な「高度警戒態勢」に置かれているといいます。あらためて強い恐怖感に襲われます。
国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)によれば、核兵器の開発や維持に約14兆円が支出されているとか。その分を貧困解消、気候変動対策に使ったなら、どれだけ明るい未来となることでしょう。
2021年に発効した核兵器禁止条約は、署名国は国連加盟数の半数に迫る93ヵ国、批准国は70ヵ国にもなりました。核抑止力を掲げ、頼っているのは一部の国々でしかありません。ロシアやイスラエルから核攻撃の脅しが発せましたが、世界は絶対に許さない。
集会スピーチでもその熱い思いが次々と語られ、署名に応じる高校生や「がんばってください」と握手をしていく若い方の姿も。核兵器禁止条約へ道を開いたのは、被爆者の粘り強い取り組みと日本国民の声があったからこそ。いっしょに声をあげましょうと、私もマイクを握って訴えました。
勤医労青年部・菅原拓馬さんが「明日への誓い」を述べられました。沖縄へ行って地上戦の歴史や被害、米軍基地が集中している現実を学んだとし、戦争も核兵器もない日本をつくる世代としての力強い「誓い」でした。
広島の爆心地から1.6km、4歳8ヵ月で被爆した大村一夫さんの体験も、じっくり聞きました。たまたま朝食が遅く、食卓に着いた途端に大閃光と爆風に襲われたといいます。あっという間に家は全壊、どうにか家族は無事でしたが町は全滅、血だらけの人やひどい火傷を負った人、「水をくれ」と川へ飛び込む人などの姿を大村さんは目にしました。
「亡くなった方々は本当にかわいそうだが、生き残った者の苦しみも知ってほしい」と大村さん。急性白血病の症状で亡くなる方を見て「いつ自分の番になるのか」との恐怖、かけられる心配の声からも逃げたくなり転校、授業で進路を問われた時も目標を持てず投げやりだったこと--。
医師となった同級生が診察してくれたことをきっかけに、大村さんは元気を取り戻し、語り部を今日まで続けています。このような話も、あと何年聞けるでしょうか。当時を知る被爆者の言葉の1つ1つは、やっぱり重く胸に迫ってくるのです。
この1年で亡くなられた1人である苫小牧市・小清水光子の紹介文も、非常に重い。何とか命は助かった小清水さんですが、机に挟まり「助けて」と叫ぶ人に泣きながらゴメンねと言って逃げたこと、途中で見た焼けた電車のなかは遺体がないほどだったこと--こんな被害を二度と出してはいけないと胸に刻みたい。
世界でただ1つの戦争被爆国である日本で、核戦争の悲惨さと核兵器の非人道さを継承していくことは重要な課題です。子どもたちや若い世代の参加もあり、私も含めて、その思いを強めたはず。8月はもとより日常的に、核廃絶の運動を広げていくことと合わせて私も語り広げたい。
集会には千葉なおこ・道1区予定候補、追悼会には池田由美札幌市議が、それぞれ参加しました。
【今日の句】核廃絶 本気で進める 政権に
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