2019年8月11日日曜日

粘り強く続けることの大切さ

 深夜まで語り、踊り、歌い、交流した矢臼別平和盆おどり。息が白くなる寒さのもと、55回目の今年も熱い平和の思いを確認しあいました。

 私が参加したのは釧路にいた20年前、今も出演している合唱団アンラコロのメンバーとしてでした。1952年に入植し、原野を開拓した川瀬氾二さんが自衛隊に土地を渡さず、まさに「演習場のど真ん中」で川瀬さんと連帯して開き続けてきたのが平和盆通りの歴史です。その歴史を知って初めて参加したときは緊張しましたが、実際は「誰もが自分らしくいられる場所」としての平和盆おどりでした。

 今年は川瀬さんが亡くなって10年。節目の年に平和資料館が6月、完成しました。盆おどりが始まる前に顔を出すと、ちょうど松平晃さんのトランペットコンサートの真っ最中。沖縄から来られた川崎よしみさんとの三線とのコラボの奏でがすばらしい! 矢臼別は「豊かな酪農郷」であるとともに「文化の聖地」でもあるのです。

 矢臼別住人である二部黎さんが、展示資料を紹介してくださいました。若き川瀬さんの姿や、盆おどりの源流とも言うべく学生が援農に来ていた写真など、あらためて矢臼別の歴史を学びなおしました。なんと、その写真に映っている、援農に来ていた学生が「当時の私です」という方が隣にいてビックリ! ますます歴史の重みを感じました。

 資料館には長く運動にかかわってこられた北海道教育大学・三宅信一教授や、住人の浦舟三郎さんの姿もあり、お元気そうな姿が何よりでした。2年前にオープンした「平和の家美術館」では、同じく住人の倉谷あみさんともお会いできて少し歓談。大自然のなかでの創作活動の醍醐味も、お聞きしました。

 平和盆おどりに初めて来られた方の多くは、ステージでの文化プログラムの豊かさに驚かれます。人間らしく生きるための平和運動ですから、拳も振り上げながら豊かな文化活動も、そして誰もが自分らしくいられるように--と築かれてきた歴史があるのです。この矢臼別の運動に、私も育てられた1人といっても過言ではないです。

 盆おどりが始まる前の開会集会では、実行委員長の上出さん、住人の浦さん・二部さん・倉谷さんが思いを込めてあいさつされ、私も来賓として紹介されましたが「私も矢臼別で育った仲間の1人」として連帯のあいさつ。その後は、餅つき・餅まきから地元のみなさんの朗読や歌と踊り、長くうたわれてきた「さくら」の大合唱、そして「花いかだ」と舞台と青年(私も加わって)の「命のコール」で、会場の盛り上がりも最高潮に。

 松平さんのトランペットを合図に数十発もの花火が打ちあがり、今年は多く参加している子どもたちも参加した、かがり火の点火は感動的な光景でした。浴衣を着る人もなく、長くつや作業着、寒い今年はジャンバーも羽織りながら、各地でつくってきた垂れ幕や行灯を掲げながら盆おどりをする光景も矢臼別ならでは。その後も再びステージでのプログラムに戻り、まさに深夜まで平和の思いが交流されるのです。

 秋田県から来られた方は「参院選で勝ったよ!」と持参された「イージスアショアいらね~」缶バッジを譲ってくださったり、福岡県からも「フェイスブックでよく知ってます」と一緒に写真撮影するなど、多くの出会いがあるのも矢臼別はならでは。もちろん交流するばかりでなく、オスプレイも予定されている日米共同訓練を許さないアピールや沖縄との連帯も参加者みんなで確認しあいました。

 付け加えるなら、この会場の準備や後片付けは、釧路も含めて地域のみなさんの奮闘があります。感謝と敬意の気持ちも、あらためて述べたいです。粘り強く運動することの大切さを、あらためて確認できた1日でした。

 【今日の句】D型の 屋根の憲法 光ってる 

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