天皇の「代替わり」儀式が大々的に報じられました。日本共産党は、国民主権と政教分離に相いれないあり方の是正を求めてきました。
今回の儀式は、前回の「平成の代替わり」での儀式が踏襲されています。今日の「即位の礼」(正式には「即位礼正殿の儀」)で言えば、天皇が高御座(たかみくら)から「おことば」を述べて、総理が天皇を仰ぎ見ながら寿詞(よごと)を述べる形態をとります。寿詞とは、臣下が天皇に奏上する祝賀、とされています。
この儀式は、戦前の「即位礼当日紫宸殿(ししんでん)の儀」と、式次第がまったく同じです。戦前の儀式が定式化された登極令は廃止されたのに、そのまま引き継がれていると言っていいと思います。戦前に神としての地位を象徴していた高御座という存在や現実の進め方などは、国民主権を定めた憲法に抵触するのではないか。
このような点から、今日の儀式に日本共産党は欠席しています。来月の大嘗祭も、宗教上の儀式として政府も「国事行為としておこなうことは困難」としていながら公費(宮廷費)が注ぎ込まれて実施されようとすることにも、同意することはできません。
あらためて憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれています。天皇の制度は、国民主権のもとで存在しているものです。加えて戦前の反省をふまえるなら、天皇を「神」とするようなことなど当然あってはなりません。
こういう時こそ天皇の制度をタブーにしないで、国民的議論が必要だと思います。だからこそ日本共産党は、今回の儀式についても国会で提案してきました。恩赦についても、憲法第4条の「国政に関する権能を有しない」天皇の立場から見て、このように実施するのは賛成できません。
日本共産党は、綱領に「現行憲法の全条項をまもる」と明記している立場から、今回の天皇の制度についても検討してきたことも合わせて知っていただければ幸いです。
【今日の句】罪までも 赦す理由は どこにある
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