「原発を動かさない・核ゴミを持ち込ませない」全道集会が札幌市で開かれ、足を運びました。寿都町・神恵内村での文献調査が始まったこともあり、「泊原発を再稼働させない」という例年の集会名に「核ゴミを持ち込ませない」が付け加わりました。覚悟を持った運動の前進が必要と痛感しています。
この「覚悟」という厳しい言葉は、講演をされた橋本大二郎・元高知県知事から出されたものです。橋本さんは、①専門家とは何だろうか、②東洋町から14年、③安全性か経済性か-ーという3本の柱で、実に約90分もよどみなく講演されました。わかりやすく話されたなかで、「覚悟」という言葉が出たのは東洋町での部分です。
橋本さんが知事を務めていた2006年、県東端の東洋町で突然、町長による文献調査受け入れい表明がありました。その時に橋本さんは、国なら国土地理院などの研究も含めて調査できるはずなのに、5億円(当時)を地方自治体に渡すやり方を「汚らしいやり方」と思ったそうです。要するに賛成者を増やすための交付金ではないかと思い、当時の東洋町長とも面談しましたが平行線。その後、選挙により町長は変わったわけですが、当時を振り返り橋本さんは「国は深謀遠慮をもって進めているのでは」と思ったそうです。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。国は徳川家康の句のとおり2年でも3年でも待つだろう、いったん計画を撤回しても新たな首長ができれば再開できる、そんな国の進め方に対して覚悟を-ー知事という重責のなかで文献調査に直面した橋本さんだけに、この話は重く響いたのです。同時に、核燃料サイクルの破たんは明らかだし、経済性や社会的コストを見れば原発は高くつくと数字を交えての話は、今後の運動を励ます内容でした。あらためて自分のものにもしていきたい。
特別報告は、福島県から避難された宍戸隆子さん、寿都町「町民の会」共同代表である三木信香さん・南波久さんから。宍戸さんとは北海道に来てから、三木さんとは昨年から、くりかえし話をうかがってもきました。粘り強く声を上げ続けることは、私のような政治家などならともかく、仕事などを持つ市民にとっては大変なこと。何度も心が折れそうになったはずで、実際に今日もそのような話がありました。
宍戸さんは、当時の苦しみを胸の中にある「ガラスの欠片」に例えました。ふだんはそのままに生活していても、3.11の時期には嫌でも向き合うことになるし、ガラスゆえに突き刺さってくるのです。報道各社から「10年を振り返って」と聞かれても、「区切りではない。『あの頃には戻れない』を認識した10年だった」との言葉も重い。それでも全国に避難した仲間が声を上げ続けていることにも触れて、「いつも言ってるのですが、ぜひ自分事として考えてほしい」と投げかけられました。原発の危険性は、もちろん北海道でも常にあるのです。
「寿都町でも声を上げますので、ぜひ反対の声を各地でも起こしてください」と南波さん。片岡町長の表明で、漁業や水産加工は見限られた思いになったといいます。三木さんは住民同士のつながりを大切に「くっちゃべる会」を始めたことや、お子さんの「寿都を見捨てないでくれてありがとう」との手紙を紹介し、「子どもに背中を押されました」と前を向いた話は胸に響きました。必要なのは連帯だし、ここでも自分事としてとらえることが大事なのだと実感しました。
主催者の意向で許可された人のみ撮影可とのことでしたので控えましたが、会場は距離を取りつつもほぼ定数で、熱を帯びた集会になりました。問題は3.11だけにとどまらず世論を常に広げられるかだし、政治的な決着が必要だということ。しっかり私も役割を果たしていきたいです。
【今日の句】次世代に 原発ゼロで 引き渡し
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