2011年6月29日水曜日

気仙沼市へ(1)

 28日(火)7:00
 仙台港に向かうフェリーから陸地は見えますが、霧がかってよく見えません。海には、流れてきたのだろう木の枝なども所々に浮かんでいました。

 10:00
 着岸間近、中野埠頭から少しずつガレキの山が見え、ターミナル前には文字どおりガレキの山。










 フェリーから降り。ターミナル前の交差点を見てン?

 信号があったはずですが、残っているのは1機だけ。その1機も傾き、赤・黄がなく青信号だけが残っています(写真でわかるでしょうか?)。

 写真の山の奥には、被害を受けた数え切れないほどの自動車も並んでいます。

 電気は復旧しているはずですが近くの信号機は点いておらず、被害の大きさを実感します。










 11:40
 仙台駅から石巻市行きのバスに乗車。自動車道に乗って、仙台市と利府町の町境ほどがガレキ置き場になっていて、山のようになっていました。

 13:00
 6/12から来ている、党道常任の千田さんと石巻市で合流。立町から中瀬を過ぎ、湊方面から日和大橋を渡り、大街道方面を車でまわってきました。

 避難所になっている湊小学校前では、泥さらいの作業をしているボランティアが‥‥よく見ると「共産党」の腕章! どこでも頑張ってるんですね。

 子どもの頃に見に行った映画館、川開き祭りで鼓笛隊として通った町並みが失われていました。言葉になりません。

 漁港に近い地域は、ヘドロと腐食した魚の臭いみたいな感じの臭いがきつく、水産会社も、日本製紙工場付近の工場も、まったく形を成していない。

生まれ育った石巻市の状態に愕然とし、重苦しい感情ばかりが湧きます。

 15:00
 南三陸町を通過。

国道45号線は津波で流出したり、土砂崩れなどで不通でしたが、3日前に復旧してくるまで走れるようになったそうです。

そういう道路事情だったからでしょうが、南三陸町は3月11日のままのように見えました。

写真は一部分しか切り取れませんが、広く広く、目で見える範囲すべてが写真のような状況なのです。その中にポツンと、屋根のないガソリンスタンドが店を開き‥‥。

何でこんな奥地にまでという場所に、土台しかない住宅地や、田や畑に、グシャグシャになった船や車が流されていて、手付かずのまま。

暗澹とした気持ちになります。

ところどころに「全国から支援ありがとう」「がんばっぺ」の文字。どういう思いで、これを書いたのかと思うと胸が痛みます。


 16:00
 南三陸町から気仙沼市に向かうなかでも、線路の上に家があったり、漁船が田んぼの上にあったり。高台にある家なのに、1階が押し流されていたり。

 気仙沼市に到着。被害の大きい南気仙沼地域に車を走らせましたが、焼け焦げたアパートや会社、まだ片付いていない民家などが目に付きます。

 石巻市同様、臭いが鼻を突きます。

 二階が無事の半損の家も目立ち、それでも明かりが点いていて、住んでいる方が多くいるのに気づかされます。

一昨日まで雨が降り続き、大きな水溜りができていた地域も。津波跡かと思うほど、冠水している道路もありました。

 党の地元対策本部に着くと、物資届けを終えた地元党組織の方々が戻り始めている時でした。

 党員の方でも家が流され、それでもこのような物資届けなど支援活動に取り組んでいるんです。

 被災現場も、そこに住んでいた人たちの思いも含め、気持ちの整理がつかないような状況です。それだけひどい。何人ボランティアがいても、まったく足りません。

 夜に千田さんと打ち合わせをし、今日はこの後、地元党員の方や気仙沼市議・秋山さんと、被災された方に要望を伺いに行く予定です。

 【今日の句】 道行けど 重さばかりが 胸を突き

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