全道福祉後援会の決起集会、民青道委員会「学費高すぎるだろ札幌キャンペーンチーム」の宣伝などに参加し、思わぬ一言に出会いました。「奨学金って何ですか」。こういう出会いこそハッとする。思わず調べました。
奨学金のことを知っていると、今の制度の矛盾はよくわかります。「この間、全額を返し終えたばかりなんです」という方、「進学を考えていますが、返済のことが心配です」という高校3年生、札幌市奨学金のことでも「大事なことなので」と話してくれた北広島市在住の大学生など、署名に応じてくださった方の言葉からも伝わってきます。
このうように署名された方の友人でしょう、そばにいて一言、「奨学金って何ですか」。説明しても、まだピンとこなかった感じでした。署名はされなくても、こういう方にも「なるほど」と思ってもらえれば必ず変化が起きる。私自身も奨学金を受けていた者として、教えてもらった歴史を思い出しました。
私が受けたのは「日本育英会」の奨学金。そのチラシだったかと思いますが、もともとは成績が良いのに高等教育を受けられない子どもたちのために、民間の力で始まった「育英」だったのです。「成績が良い」ということがポイントで、違う角度から言えば、エリートをつくりあげ確保することが目標にもなるわけです。この要件は今まで続いていて、札幌市奨学金も高校なら「3.5以上」とされていますが、大学などは「4.7以上」という高い条件があるのです。
日本が戦後の復興を果たすために、この育英金は大きな役割を果たしました。ところが「給付制」はなく、公務員や準ずる職に就けば返済不要という日本型の奨学金制度がつくられました。ちなみに国会でも「給付制」は議論されたことがあるのですが「ソ連のような仕組み」という理由で実現しませんでした。学生や家庭の現実よりも、共産主義になってはいけないという理由だけで「給付制」は実現しなかったのです。
しかし、今や大学進学率は54.4%(2020年度)と半数を超え、短大なども含めると8割を超えます。多くの家庭で進学が選ばれるなか、貧困と格差が広がる今、奨学金への要求が強まるのは当然なのです。「エリート確保」の意味を持っていた奨学金が、今は「誰でも学ぶ権利を保障する」ための奨学金となってきたのでした。学ぶ権利を保障するなら学費無償化が筋というものですが、そうなっていない日本の現実のもと、頼み綱は奨学金なのです。こういうもとで長年の学生や保護者の運動が積み重なり、国でも給付制奨学金をつくることができたわけです。
声をあげれば変わっていくことは、福祉後援会の集会でも確認されました。数は少ないものの札幌市が「生活保護の申請は国民の権利です」とのポスターをつくったことが、その象徴です。いま全国にも同様のポスターが広がり始めてるそうで、生活保護申請にハードルが高かった札幌市で切り開いたことが全国に波及しているとは、すごいこと。運動とともに国会で日本共産党が追及したことも重なって、前へ進めたことを確信にしたい。
切実さとともに、その根拠がしっかり整理できれば、行政は検討せざるを得ません。それが説得力というもの。これを短文・短時間で伝える力をつけたいと、つくづく感じた1日でもありました。
【今日の句】学ぶって 未来を照らす ものだから
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