2024年7月5日金曜日

やっぱり自民党政治の転換を

  紙智子・岩渕友両参議院議員との訪問・懇談も、今日が最終日。平和・核兵器、くらし・地域にかかわる大事な話し合いになりました。両議員の国会活動とともに、私も北海道で世論を広げることと政策化に力を注ぎます。何より議席を回復して、自民党政治を変えていく力にならなければ。今日は宮内しおり比例・道2区(重複)予定候補も参加しました。

 国会要請をくりかえしてきた新日本婦人の会では、学校給食での緊急アンケートに取り組んできました。食料自給率200%の北海道でも、質量ともに子どもたちの空腹を満たせないような給食もあるといいます。「農家の減少もあって、コメの産直運動も何とか成り立っている状況。日本政府は武器よりも食料を大切にして」との訴えがありました。

 平和の問題では、自衛隊が日常生活に浸透してきている実態が話題に。紙議員が国会で質問した「こども食堂」での広報・勧誘や、基地での記念行事にとどまらず市内中心部のイベントに車両展示などがおこなわれています。かつての侵略戦争を肯定するような教科書が採択されている問題もあり、子どもや若い世代が「戦争する国づくり」に巻き込ませない運動と論戦が大事と確認しあいました。

 北海道ノーモア・ヒバクシャ会館を訪れ、道被爆者協会との懇談も。廣田凱則会長から、会員の高齢もあって協会は解散するものの、連絡会を維持して語り部活動を途切れないようにしたいとの話に、将来へ引き継ぐ私たちの世代の責任も果たさねばと思いました。被爆者に残された時間は、多くはないのです。

 学生が絵本を英文にしてくれたり、高校生の演劇がおこなわれるなど嬉しい活動も広がっています。学習教材ともなるDVDもつくられました。「日本政府は核兵器禁止条約を批准しなくても、被爆者はくじけずにやろう」との思いを聞き、いっそう力を尽くさねばと決意も新たにしました。

 金子廣子さんの案内で、会館内の展示も見てまわりました。家族を亡くし、育ての親からの言葉に傷つき、医者も被爆の症状が理解できないなかで何度も手術を受けるなかで、みずから被爆したことを隠し続けてきた金子さん。福島第一原発事故を契機に、自分の経験を語らなければと活動に参加されてきたのです。

 「岸田首相がサミットで、核廃絶に一言も触れなかったのは本当にガッカリ」と話されながら、力をあわせて核兵器廃絶をとの思いを交流しました。ぜひ多くの方にノーモア・ヒバクシャ会館を訪れてほしいです(こちら)。

 北海道生活と健康を守る会では、物価高が続くなかで貧困に直面している方の、胸が痛むような実態をうかがいました。「100円ショップでも『2つで100円』のものを買い、それを食べて耐え忍んでいる」「シャワーを週1回に控えている」「灯油代が高く、家のなかでも設定温度は13℃」などはほんの一部で、加えて生活保護の段階的削減や、年金に加算されない精神障害など社会保障の貧困という現実が、あらためて突きつけられました。

 保護費を渡さなかったり、印鑑を預かり本人の同意なく押印など、桐生市の悪質な行政の姿勢も話題に。就労相談支援員に警察OBを配置して、受給者を監視するのは桐生市だけではないとのことで、人権無視の広がりは本当に腹立たしい。

 道農民連では、中山間地の農家も大規模農家も激しい矛盾のもとにある実態が浮き彫りに。あきらめや行きづまりを声に出せないのは、個人責任でなく政治が展望を示せないから。再生産ができる価格保障・所得補償が、どうしても必要だと何度も訴えていきたい。

 全道の新規就農者は年間500人に届かず、離農した方の農地を引き受けることは限界です。産業獣医も足りません。「店も病院もない町に、若い人が来るのだろうか」との一言が重い。足元から立て直す政治にと、やっぱり自民党政治の転換を。明日もがんばりたい。

 【今日の句】明日さえも 不安な日本に 誰がした

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