朝から北海道新幹線開業のニュースが続々。こういう時こそ公共交通における、国と事業者の責任を明確にしておかなければいけません。
予算委員会の分科会で、夕張問題とともにJR北海道問題をやりたかったのですが機会が得られなかったので、少し書いておきます。
JR北海道が一連の事故やデータ改ざん問題があり、実態の解明のさなか2013年に交通政策基本法が成立しました(同年12月4日交付)。
かつて2002年に、民主・社民の両党が提出した交通基本法案に一つの源流があります。
趣旨説明によれば、交通運輸分野での規制緩和が続き、市場原理ではゆだねられない部分--安全や環境の負荷、何より移動権の保障という観点から提案されたものでした。
なかなか成立とならず、この年に自民党政権のもとで交通政策基本法として法案が提出されたのが経過です。
ところが、この法案では交通分野における国際競争力が前面に打ち出され、上記の内容はどこかに行ってしまっています。
これは2013年11月13日の衆議院国土交通委員会で穀田恵二議員が指摘しているのですが、政府からは他の法律に書いてあることなので‥‥と、今法案にはわざわざ書かなかった旨の答弁をしています。
しかし基本法を名乗る以上、そしてこの法案の原点は国民の移動権の保障にあったことを考えれば、こんな扱いにはならないはずです。
結局この法案は成立(日本共産党は反対)するのですが、公共交通における国と事業者の責任が、公共性というより経済性に置かれることになったと思うのです。
そこでJR北海道です。
新幹線開業と合わせたダイヤ改正で、利用者数が少ないなどの理由から、廃駅・減便などが相次ぎました。
また日高線に見られるように、復旧にともなう多額の費用支出には消極的です。
つまりJR北海道としては経営が苦しいので、規模縮小は許してほしい、ということ。
鉄道事業の採算が合わないことは分割・民営化のころからわかりきっていたことで、確かに国も基金を積んできましたが、安全対策など二の次になって、経済事業が最優先という体質になったことはご存知のとおりです。
分割・民営化という過去の失政による問題と、新たに公共性より経済性という交通政策基本法という「お墨付き」が背景となった今日的問題とが、JR問題をめぐる今の状況として考える必要があると思うのです。
先日、JR問題で国交省とレクをしましたが、やはり基本法の話が出てきました。
公共交通の維持に、もちろん自治体の責任も必要ですが、自治体に責任が転嫁される構造となっていないのか。
まだ詰め切れていないのですが、何より安全問題は命の問題であるし、移動権も通学・通院など基本的人権にかかわることであって、国にもJR北海道にも誠実に向き合う責任があると思います。
新幹線の維持を見ても赤字が見込まれており、引き続き在来線を中心に廃止が続くようなことでは、公共交通としての責任を果たしているとは言えないでしょう。
加えて、JR貨物も重要な経済の動脈であることも忘れないでおきたいと思います。
機会をつくって、政府をただしていきたい。
昨日は札幌に夜遅く帰って寝落ちしてしまいブログも書けませんでしたが、今日は元気に札幌南区・女性のつどいなどへ。
明日は弁護士会主催の集会などへ!
【今日の句】 安全を 大前提と 言うのなら
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