広島への原爆投下から73年--原爆死没者北海道追悼会では被爆者の話も聞き、核兵器廃絶の思いを新たにしました。
北海道の調べでは道内在住の被爆者は292人。この1年では22人の方が亡くなり、原爆症認定訴訟で先頭に立たれてきた安井晃一さんが先日亡くなったことも報告されました。長年の活動に敬意を表するとともに、安井さんはじめ亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
何度か出席している追悼会ですが今年はマスコミも多いようで、式典に続く二部の交流の集いまで取材していました。安倍政権が核兵器禁止条約に否定的な態度をとるなかで、被爆者の声を聞きたいということなのでしょうか。
ともあれ式典では、北海道と原水爆禁止北海道協議会の追悼の辞があり、高校生・岸本万尋さんが自分の言葉で「明日への誓い」を話されました。歴史のイチ事実でしかなかった原爆投下が、学びや被爆者の話を聞くなどを通じて「くらしや人生が失われたこと」に気づき、自分自身も語っていくことの大事さを話されていたことが印象的でした。
私自身も学生時代に広島での原水爆禁止世界大会に参加しましたが、初めに原爆ドームを見ても「これが有名な原爆ドームか」くらいしか感じなかったものの、実際に被爆者の話を聞いてから原爆投下を現実として受け止めるようになったのでした。その思いがよみがえりました。フルート演奏や合唱を、当時を思い出しながら聞いていました。
二部の交流のつどいでは、宮本すみこさんの体験談から始まりました。一昨年まで、このような追悼会の存在も知らなかったという宮本さん。名古屋での空襲で父親を亡くし、長崎へ疎開したときに原爆投下に直面したそうです。親せき宅へ、さらに避難しようと思い立ったものの被爆地を通らないといけません。その後、母親が熱を出し髪の毛も抜け始め、村の人が病院に送ってくれる様子など、穏やかな語り口ながらも当時のリアルな状況が伝わってきました(なお、お母さんは無事に退院できたそうです)。
宮本さん以外にも、紹介された被爆者の方々が短時間ずつ当時の様子を語ってくださいました。「友達と遊んでいて、家に戻った瞬間に原爆が落ちた」「産んだ子どもたちに、広島でのことをどうしても話せなかった」「ずっと被ばくのことを語りたくなかったが、東日本大震災で母親たちの心配が自分で同じで、何か伝えられればと語ることにした」など、聞いていて胸がいっぱいになるような話ばかりでした。やっぱり核兵器は無くさなければいけないし、被爆者援護も急がなければいけないと痛感しました。
安倍首相は広島式典で核兵器禁止条約に触れず、その後の被爆者との懇談の席で条約に賛同しないことを明確に表明したようです。それでいいのでしょうか。どれだけ被爆者の思いを傷つけているのか、安倍首相はわかっているのでしょうか。腹立たしくもあり、情けなくもなってきます。「生きたくても生きられなかった」方々の命の重みを、どれだけ感じているのでしょうか。
交流のつどいでは私からも党を代表して一言あいさつし、核兵器禁止条約を批准するために政治を変えたいと述べました。安倍政権にその気がないのなら、新しい政権をつくるしかありません。そもそも核兵器禁止条約だって、もっと日本政府がイニシアチブを発揮していれば早く発効できていたのではないのでしょうか。
順序が逆になりましたが、朝は街頭からの訴えもおこないました。今日の広島、9日の長崎、そして15日の終戦記念日と、戦争と平和について考えあう契機としたい。私自身がそうだったように、現実感を持てない方々も多くいると思うのです。それでも私自身も口を開いて、どのような形でも心に伝わればと願って訴えました。戦争を止めるのも、核兵器をなくすのも人間の力でできることなのですから。
【今日の句】総理から 命の重み 伝わらぬ
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