2019年2月21日木曜日

自然災害への備えを、あらためて痛感

 ブログを書き終えたところで地震! 私がいる奥尻島はほとんど揺れませんでしたが、道内各地は大丈夫でしょうか。

 夜でもあるだけに被害の実態は、まだよくわかっていません。報道の範囲でしかわからないのというのも、もどかしい。今の時点では大きな被害が出ないよう祈るばかりです。

 今日は函館を経由して奥尻町へ来ました。奥尻ブルーと呼びたい青空と青い海を目にしながら、観光協会会長も務めている制野征男・元町議と、宣伝や懇談にまわりました。

 制野さんは前回の地方選で落選してしまい、今度の町議選で返り咲きをめざします。奥尻に移住した制野さんも今は島の隅々まで知り尽くしているだけに、とても心強い存在です。宣伝で回ったときにも、制野さんを見て手を振る方などが多くいらっしゃいました。

 島に着き、やっぱり最初は青苗地区へ。1993年に最大遡上高31.7mを記録した津波で、死者202名・行方不明者28名もの大きな被害を出した奥尻。献花をして、あらためて哀悼の意を表しました。今は津波の傷跡など見えない代わりに、高い防潮堤が当時の津波の高さを記録しています。あらためて被害の大きさに驚きます。

 漁業と観光が産業の柱である奥尻ですが、フェリーの「奥尻ーせたな」航路が今夏は休止するという突然の発表があり衝撃が広がっています。もう1つ「奥尻-江差」航路があるのですが、占める割合では、せたな航路が6割といいます。江差航路のほうがフェリー運賃も高いため、負担増も心配されています。

 役場では新村卓実町長と、商工会では明上雅孝会長・松川治樹事務局長と懇談させていただきました。この航路存続についても共通して話が出されたほか、飛行機も含めた交通体系、いわゆる「離島価格」での島民の負担なども苦労とともに、全国から「島留学」として奥尻高校へ来ていること、そのなかから漁師をめざす卒業生も生まれているとの明るい話にも耳を傾けました。

 私の母の実家も、宮城県女川町江ノ島という小さな離島です。小学生のころは夏休みに必ず島に渡って泳いだり遊んだりしただけに、島の生活というのは私にとって感覚的にも馴染みがあるのです。制野さんとは「島の可能性」についても語り合いました。何と奥尻には観光介護士の資格をもつ方が20数人も! 誰にでもやさしい観光の島・奥尻もいいねと話し合いました。

 人口減少に苦しむ奥尻ではありますが、政治の力と地域の力がかみあえば解決に向かうことも多くあります。その橋渡しとして少しでも役に立ちたい。地震もあっただけに、その思いがますます強まります。

 【今日の句】無事である ことの大事さ 何よりも

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