2014年3月12日水曜日

今日ぐらいは思いを吐き出して

 1年に一度くらいは、私だって思いのたけを書く日があってもいいでしょう。私だって忘れられない、3.11なのですから。

 午後2時46分は、札幌駅で人と面会中。

 自分が目まいでも起こしたのかと思ったら、何やら全体が揺れている感じ。

 しばらくして、臨月を迎えた妻から電話。

 「地震で宮城は津波10mだって!」

 えっ、としか返せずに事態を飲み込めなかった私。

 携帯で連絡が取れた父は「これから(仕事で出ていた)母さんを迎えに行く」。

 上の妹は「いま1階に津波が来たけど大丈夫だから」。

 どちらも、それから後は携帯がつながりませんでした。

 テレビで荒れ狂う津波を見て、何度も出てくる「壊滅的状況」という言葉に、想像もつかないほどの恐怖感を覚えました。

 夜になっても続く緊急地震警報と余震に、もうやめてくれ、と何度思ったことか。

 自衛隊が映したという、気仙沼市で火災が起き町が赤々と燃えている映像には、本当に全身から血が引いていく感覚でした。

 父は、母は、妹夫婦は、親戚は。

 何度かけてもつながらない携帯、停電だから当然つながらない固定電話、定期的に送ったメールにも返信なし。

 その晩は眠れず、連絡が取れる県内の親戚に連絡が取れ、無事を確認できたのが3日後。

 無事を確認できたと叔母は電話口で泣き崩れてましたが、目の前で確認していない自分にとっては半信半疑でした。

 それから3日後、携帯に下の妹から、そして父からと連続して携帯に電話が。

 良かったと思いつつ、素直に喜べないんです。

 多くの方が命を落とし、行方不明の方もいて、家も車も漁船も何もかも失くしてしまった。

 その現実を前にしたら、北海道にいる私だって素直に喜んでいいのか、わからなかった。

 我が家の2人目が生まれ、少し落ち着いてから石巻へ行きました。

 ショック、としか言いようがない。

 初めて映画を見た岡田劇場がない。

 たくさんのオモチャが並ぶ、夢の場所だったサルコヤも波にぶちぬかれ。

 嫌な臭いを出していた製紙工場は、動くそぶりもない。

 日和山から見えた風景は、町が「グチャグチャになった」ような風景に一変。

 何もできていない自分が、また悲しく感じられたのです。

 被災地ボランティア以外にも、被災者を支える活動があると頭ではわかっていても、です。

 今日、苫小牧で講演会を済ませて車で帰る途中、NHKラジオを聴いてきました。

 さとう宗幸さんの青葉城恋唄が流れてきました。

 たぶん多くの宮城県民は「♪広瀬川~」と口ずさめるだろう曲です。

 歌詞に「思い出は 帰らず」とあります。

 何を私は、失ったのだろうと考えました。

 北海道に住んでいる今、家も家族も失ったわけではない。

 遠戚を亡くしましたが、父母・妹とも元気です。

 それでも3.11が近づくと、自分が何か1年間してきたんだろうか、と嫌悪感に近い感情が存在するのに気づくのです。

 1年目より2年目、2年目より3年目。

 それは被災地で、3年経ったことで矛盾が溜め込まれてきている現状に、符号するのかもしれません。

 (ちなみに精神的に落ち込む、などの状況はありませんので、ご心配なく)

 素直に喜べない、素直に笑えない、感情をガマンする。

 多くの被災体験をした方に、共通してきたことなのではないかと思います。

 それは、北海道にいる私にもわずかながら、あったのかなと思います。

 特に福島で、放射能汚染に悩まされ、残った人も避難した人も、私以上の苦しみや葛藤の真っ只中にいるんでしょう。

 そう考えるといまだに、どんな言葉から話し始めたらいいのか、わからないのです。

 仮設住宅と言ったって、プレハブですよ。

 雪が降らない石巻とは言え、冬は寒いに決まってますよ。

 それでも3年もガマンを続ければ、ご近所で顔なじみにもなるし、あきらめに近い感情も生まれてくることもあるのでしょう。

 ボランティアは無力ではないし、私も現地に行って、やれることはたくさんあると実感してきました。

 やれることを日本全国で、やっていくのしかないのかな。

 何より政治が、やれることをやってるんでしょうか。

 何で生活が成り立たないのに、消費税増税?

 何で健康状態が悪化する人もいるのに、受診負担を増やすの?

 被災者と党の奮闘で要求が前進しているものはあるし、福島では原発労働者を励ます連帯行動が生まれていることにも、胸を熱くしました。

 足を踏み出す人がいれば、全力で応援する。

 足を踏み出せずに苦しんでいる人にも、全力で支援する。

 何万人とか何%とか、数で復興を見るのでなく、1人ひとりが心から笑える状況になれるようにすることを、私は復興の基準に思いたい。

 私は私の持ち場で、やるべきことをやりきる、ことなのですよね。

 これだけ吐き出さないとスッキリしない、のです。

 被災・避難当事者のみなさんは、もっと吐き出したいことがあるのでは。

 「がんばろう東北」ではなく「がんばってきた東北」の1人ひとりに寄り添う、その気持ちだけは失わないようにしたい。

 あらためて直接の震災と、その後に亡くなられた方々に、心から哀悼の意を表したいと思います。

 長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 【今日の句】 くよくよと するなと声が 未来から

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