2014年6月12日木曜日

政治の仕事とは「いかに戦争をしないか」なのでは

 集団的自衛権で様々な報道が出ています。自公で党首会談を持つとか、公明党は限定的に容認するとか‥‥戦争できる国へと足を踏み出していいのか!

 このようなときに、いちばん悩んでいるのは自衛官かもしれません。

 北海道でも、就職先がなくて入隊したという若者が多くいます。

 意欲的に入隊した人でも「日本を守るためなら」「震災で救助する姿を見て」と、いうことが動機の多くを占めるのではないでしょうか。

 それが議論の積み重ねもなく、憲法の読み方を変えるという方法で、結論が180度変わって「戦地に行ってもらいますから」--それで隊員も納得するのでしょうか。

 「命令だから仕方ない」

 そういう方もいるでしょう。

 でも、そうやって失くすべきでない命を落としていったのが過去の戦争。

 それまで政治の役割は「いかに戦争をするか」でしたが、戦後は「いかに戦争をしないか」へ変わったはずだったのでは。

 安倍首相は、人の命の重さをどう感じているのでしょう。

 「だからこそ戦没者を悼み、靖国神社に参拝している」

 そう言うのなら、まったく違う。

 これまでも書いたように、靖国神社は戦争推進の性格をもった神社です。

 A級戦犯だって祀られている。

 戦没者を心から悼んでいるのなら、戦争しない国づくりへと進めるべきではありませんか。

 直接このような声を、安倍首相にぶつけられないのがもどかしい。

 だから頼りは国会議員ですが、野党のなかでも賛成の党も多く、話になりません。

 それでも世論の力で、安倍政権がねらった正面からの憲法改正は止められ、憲法96条からの改正も止められ、もう解釈改憲の道しか残されなかったということでしょう。

 だから今が頑張り時!

 私も私の立場で、やれることをがんばります。

 【今日の句】 高揚し 権力者はまた 孤立する

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