2013年5月19日日曜日

子どもたちを苦しめているのは誰なんだ

 今日は札幌を離れて、教職員後援会の「つどい」に参加です。初夏を思わせる天気で、会場までも気持ちよく歩いて行きました。

 学校現場の努力や苦労、政治への要望も伺いました。

 「高校を卒業しても、奨学金返済で苦しむ子どもたちがいる」

 「私学でも授業料無料を実施している県がある。ぜひ北海道も」

 「子どもに学力をつけようと教材ドリルに頼ることだけで、いいのだろうか」

 いろいろ聞いて驚いたのは「マスコミの影響なのか、尖閣諸島や竹島に触れて『先生、韓流ドラマ見てるの? 韓国なんて、ありえない』と小学生から言われた」とのこと。

 歴史の一方的な見方ばかりが流されて、子どもたちに影響を与えているのかと、ビックリしました。

 そういう情報に触れて「歴史を調べてみよう」とならずに、関係国への嫌悪感に直結するという「前提」が恐ろしく感じます。

 もちろん子どもたちだから、認識よりも感情に直結するということがあるのかもしれません。

 そうであるからこそ、子どもたちがジックリ学べる環境こそ作るべき。

 ヨーロッパ各国では、日本で言う義務教育部分では、点数評価をしない国が多くあります。

 大事なことは、間違いを恐れず自分の意見を言い、調べて話し合って、真実や解決の道を探すこと。

 そうして「主体的に生きる力」や基礎学力を身につけてから、専門や技術などを学ぶのです。

 対して日本は、財界が求めるエリート選抜・競争主義が反映し、それが「できる子」「できない子」とバラバラにされて、強いストレスにもなっている。

 国連子どもの権利委員会が、3度に渡って指摘してきた中心部分です。

 歴史認識も、基礎学力も、集団的に発達する道筋も、日本は世界から見ても外れているように思います。

 いじめなど、子どもたちの問題行動や学校・教員の不祥事ばかりがクローズアップされますが、もっと子どもの置かれている現状や、教員の努力をマスコミは広げるべきではないでしょうか。

 今日の話にも「次の授業をする先生に、出勤簿を手渡しながら『○○君は今日こんな感じだよ』と付け加えて話している」(高校)など、少しずつでも生徒理解を教員集団の共通認識にして、1人ひとりを内面から、しっかりとらえた実践を進める先生たちも多くいます。

 北海道は、他県に比べて教育委員会も管理・抑圧的です。

 マニュアルを立てて、教育目標を立てて、この通りにやれとばかりで、教育がうまくいくと考えていたら根底から間違っていると思います。

 子どもたちは、毎日違う顔を見せ、毎日心も体も変化しています。

 それに柔軟に対応し、それでいて教育の条理にもとづく実践は、現場に蓄積されています。

 そもそも教育委員会が、教員を信頼していないのではないですか?

 ここに大きな問題がある。

 結局、しわ寄せは子どもたちにいく。

 子どもを真ん中に置いた議論や教育実践を、今こそ広げる時だと痛感します。

 【今日の句】 教育は マニュアル漬けこそ 魅力なし

0 件のコメント:

コメントを投稿