今日は第51回北海道解放運動無名戦士合葬追悼会に、党道委員会を代表して参加しました。さわやかな青空に吸い込まれそうな日でした。
北海道では戦前、治安維持法の弾圧のもとで虐殺された小林多喜二や野呂栄太郎など、先達の不屈のたたかいがありました。
戦後も、労働運動・農民運動の高まりと、政治革新をめざす活動が広がりました。
亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、さらに発展させようと建立されたのが写真の「労農運動犠牲者碑」です。
建立は1949年ですが、札幌・月寒公園の脇の小公園へ1966年に移設されました。
今年は59人の方を追悼することとなりました。
紙智子参議院議員を、公私ともども支えた内山勝人さん。
道議会議員を務めて、北海道の政治革新に奮闘した山科喜一さん。
地方議員を務めたのは他にも、川邊政義さん(留寿都村議)・黒澤一喜さん(砂川市議)・澤野健三さん(江差町議)・中山明さん(長万部町議)・渡邊正治さん(余市町議)など。
他にも労働運動、女性運動、平和運動、うたごえ運動など、各分野で活動された多くの方々。
私が最初に立候補した時に、選挙カーを運転してくれた浅野良裕さんも含まれています。
室内での追悼会、小公園での碑前祭と進み、ご遺族を囲んだ懇親会にも参加しました。
感動的なお話が続きました。
軍隊にいた夫が共産党に入り、その後はご夫婦で二人三脚の活動を歩んだこと。
父が共産党の活動をしていたからと、子どもたちが就職で差別を受けながらも、親が正しいことをしていたと知っていたこと。
生協や勤医協病院をつくるのに懸命なのに、いつも両親とも笑顔を絶やさなかったという方。
女手一つで子ども4人を育て上げた母を困らせないよう、入党したことを秘密にしていたのに、それが分かった後に母親も入党してくれたこと。
ある方は、こう話されました。
「仏前に、都議選と参院選の勝利を報告したい」
長く苦労して活動してきた先輩たちも、都議選の結果は喜んでいるでしょう。
このように過去にがんばって、私たちにバトンを引き継いだ方がいたから、今があるんだと強く思いました。
途中で、つらくとも投げ出さず。
仲間と、希望や確信を語り合って。
継続することが、最も大変なことだと、多くの方は実感しているはずです。
特に社会を変えるとなると、しかも相手が大きいとなると、さらに継続は並大抵のことではありません。
私も3回立候補をしましたが、「二大政党」や「第三局」ブームの前に、もどかしい思いを何度してきたことか。
それでも私も今まで続けてきたことに、ちょっぴり自分をほめたい気持ちになりました。
粘り強い活動が、新しい社会を準備しています。
さぁ、がんばるぞ。
【今日の句】 この空も いつの時代も 変わらずに
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