今日はチェルノブイリ原発事故から33年。原発連の宣伝や反原連の道庁前行動など、今日はとことん原発にこだわって行動です!
当時は中学生だった私にとって、遠い国の出来事のように思っていた事故でした。その25年後、福島で事故が起きるまでも、どこかで「遠い国の出来事」と思っていた自分が恥ずかしくもあります。他人事にしない、という意味の重さを痛感したのが福島第一原発事故でもあったのです。
過酷事故が起きれば取り返しがつかない大きな被害が出るという現実を前にしたことが、私にとって自分事として受け止める大きな景気となりました。ふるさとを追われた方々の苦しみを思うと、再稼働を認めることなどできません。
あわせて省エネ社会の推進、民主的規制のもとで再生可能エネルギーの普及など、新しい社会をつくるうえの前向きな課題でもあるはずです。すでに実践例も生まれているし、大事なのは政治決断です。そのためにも野党が共闘で提出した原発ゼロ基本法案の審議と可決が、どうしても必要です。
原発連の宣伝で「泊原発の再稼働 賛成?反対?」シール投票もおこないましたが、意思表示する若い人が多かったのが特徴的でした。しっかり民意を汲みつくす、ということが大事なんだと再認識です。強行政治など論外です。
道庁前では、就任した鈴木知事に向けて以下のようなスピーチをしました。
「知事は選挙中で『原子力規制委員会が審査中』『適切な時期に、適切な判断をしたい』と述べられました。何も答えていないようなものです。これでは前の知事と同じ立場となるのではありませんか」
「原発では『攻めの道政』は通用しません。『攻め』のはずだった海外への原発輸出は、コストがかかり過ぎるからと拒む国ばかりとなりました。今こそ原発の縛りから抜けだすチャンスではないのですか」
私は現職の議員時代、夕張市長だった鈴木知事と面会させていただきました。夕張の財政再建問題について国会で質問するため現状をうかがったのですが、志半ばで退職していく若い職員の状況に胸を痛めていた様子が印象に残りました。そのやさしさを、原発行政(だけではありませんが)で発揮されることを願いますが、果たしてそうなるか。
チェルノブイリも福島も、まだふるさとに帰れない方が多くいます。使用済み核燃料の処理方法も定まっていません。世論調査は、常に再稼働反対が多数を占めています。泊原発は、敷地内に活断層があるとも指摘されています。こういう状況で、とてもとても再稼働はできないはずです。
原発はやめさせることができるし、やめさせる。国民の声が大きくなれば、かならず政治は変えられるのです。
【今日の句】何度でも 「命が大事」と 言い続け
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