やっぱり現場に来ないとわからない。道内を襲った暴風雪は、さらに多くの被害を出す恐れがあった大変な事態でした‥‥。
北見市内を車で走ると、国道には雪もなくスイスイ走れます。
ほんの数日前に暴風雪があったのに、なぜ?
雪は確かに降りましたが、問題は「風」の方。
道道・端野網走線を走ると、防雪柵の切れ目に吹きだまりとしてできたのだろう雪山が顔をのぞかせます。
曲がった柵もあり、昨日撤去されたという嘉多山墓地付近の柵は、元から折れているのがハッキリわかりました。
近くの農家では、倉庫の屋根がバッサリ飛ばされ、中には吹き込んだ雪!(私のフェイスブックに撮影したものを紹介しています)
「春に間に合うように、ハウスは急いで直したんだ」と言うとおり、ビニールハウスはきれいに張られていました。
近くの農道でも4台ほどの車が動けなくなり、このお宅にも避難してもらったそう。
今日も強い風が吹いていて、畑からの雪が舞い上がる状況だったのですが、そんな比でない程の強風。
網走・松浦市議からの話にも、驚きました。
松浦さんは会議を終えて網走へ戻る途中、大空町で前の車が進めなくなり、一緒に立ち往生。
止まった車にシビレを切らしたのか、後続車が対向車線から追い抜いていくんだそうです。
しかし前へ進めるわけでなく、その後をついていった車も含めて立ち往生。
2車線で動けなくなってしまい、除雪車が進めない事態にもなってしまいました。
何とか夜中に外へ出て、近くのコンビニまで往復してトイレを済ませ、食事を確保。
大空町で止まったのが午後4時で、やっと網走市へ着けたのは次の日の午前9時!
こういう車が180台。
違う場所では、開けた車のドアが強風で閉められなくなり、ここでもお父さんが車内の母と子を抱えて寒さから守って、助かった時には背中が凍傷(!)に。
消防が駆けつけて救助した方の中でも、車のドアを開けたらガスの匂いがして顔色が悪かったという人もいたそうです。
あと少し救助が遅かったら‥‥という人も、少なからずいた。
二次災害の恐れもあるなか救助へ駆けつけた方々の、勇気もすごい。
そして避難所などへ、近くの方々がおにぎりなど差し入れを届けに来る方もいたそうです。
どう届けたらいいかわからず、地元新聞社への問い合わせもあったとか。
書ききれないほどのエピソードを聞きました。
助け合って生き延びようと、懸命の努力があったことも知りました。
そして、これらを美談に終わらせてはいけないと心から思いました。
吹きだまりを可能な限り防ぐため、防雪柵などのあり方はどうすべきなのか。
日常的な除排雪体制は、このままでいいのか。
緊急時の自治体と道、国の連絡体制に課題はなかったのか。
地域ラジオ局などとも協力して、車内に残る人への情報発信と情報共有はできなかったか。
新聞などでは、きっと報道も少なくなるでしょう。
東日本大震災の被災者の、ある言葉を思い出しました。
「なかったことのように、忘れられていくのが怖い」
被災者には万全な支援をし、必要な教訓を必ず導き出して今後に生かす。
その役割を政治が果たさなければいけないし、調査したことをきちんとまとめて反映しなければいけないという責任を痛感しました。
同じような被害を、また繰り返すということがないように!
【今日の句】 耐えてきた 寒さを超えて 春よ来い
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