今日はJR札沼線の沿線自治体である月形町・浦臼町・新十津川町を訪問・懇談、なんと札沼線開通の歌もあったと‥‥!
札沼北線と札沼南線がつながって、現在の札沼線となったのが1935年。
その開通を喜ぶ歌を、月形村(当時)札比内尋常高等小学校の先生がつくっていたことがわかったと、月形町でうかがいました。
記録も兼ねて、以下に記しておきます。
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札沼線開通の歌
1.札幌駅より出で立ちて
沼田に至る札沼線
延長ここに100余キロ
石狩右岸を走り行く
2.桑園ぬけて新琴似
篠路過ぐれば石狩の
鉄橋実に1キロ余
わが国屈指と誇りたり
3.当別過ぐれば山迫り
中小屋温泉程近し
明治のはじめ開村の
月形町は栄えたり
4.ここに名だたる新田や
模範部落と聞こえたり
秋の稔の知来乙
月形町は中心地
5.汽笛の声を後にして
入るや未墾の原生林
やがて拓くる札比内
耕地面積1000余町歩
6.米、きび、小豆、燕麦や
中にも豆類、鶏卵は
郷土の栄えの源ぞ
いざ振り立てん理想郷
7.左手[ゆんで]に続くは増毛山
浦臼の郷[さと]過ぎゆけば
車窓に眺むる鶴沼や
秋の紅葉を尋ねみん
8.古き歴史に今もなお
新十津川は栄えたり
下、中徳布、橋本町
滝川町は中心地
9.並びてつづく米産地
その名もゆかし雨竜村
和[やわら]碧水、北竜と
過ぐるも早し北空知
10.二十三駅四時間余
沼田もいまは程近し
右岸の宝庫開発に
任務は重し札沼線
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当時の名簿をたどって探したそうですが、ご存命の方がいなかったと上坂隆一町長さんは教えてくださいました。
詳細はわからずじまいですが、詞を読むだけでも札沼線にこめた当時の思いがヒシヒシと伝わってきます。
浦臼町では斉藤純雄町長さん、新十津川町では小林透副町長さんが、お忙しいなか時間をとってくださいました。
先日の道の鉄道WT発表では、バス転換を含む見直しを示しました。
当別町も含めた4町での検討会議が明日に開かれるそうですが、町民を含めて複雑な思いだろうと思います。
通学に使う高校生の「残してほしい」という訴えあり、障害を持たれている方の移動手段という現実あり、シーズンともなれば鉄道好きの観光客で列車いっぱいになるとの話もあり。
何度も書いてきましたが、鉄道は人が通らない地域を走るのですから、全国も全世界のローカル線は赤字で当然なわけです。
それをドル箱路線の収入で補ったり、国が支援をするなどして維持されています。
何より北海道は、血のにじむような開拓の歴史と一体の鉄路だったことを忘れてはいけない。
「地元の人が乗らないから」維持・存続を訴えることの、ためらいもあるでしょう。
しかし、その理屈で言えば「乗るんだったら地元負担」ということになるし、赤字路線を維持する責任は沿線自治体ということになってしまいます。
その議論の土俵がおかしいのではないのか。
なぜ沿線自治体に責任を押し付けるようなことになるのか。
国民の移動する権利を保障するのが国の役割で、欧州では当然の考え方になっています。
いったん民営化された鉄路も、再国有化する流れもイギリスにありました。
大きな視野で、道民的・国民的規模で、JR北海道の問題を議論するべきではないのでしょうか。
3町での懇談を通じて、あらためてそう感じるのです。
【今日の句】鉄道で 町も心も 結ばれた
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