持病などをお持ちの方にとっては特に、新型コロナウイルスの広がりは心配なことと思います。この間も書いてきたように、本気で命や健康を守る政治の姿勢が問われています。
国会では今日、衆議院で来年度予算案が可決されました。しかし、新型コロナウイルスがこれほど広がる前に組んだ予算ですから、その対策予算は1円も入っていません。日本共産党はじめ野党で組み換えを要求しましたが、政府・与党は受け入れませんでした。
それなのに安倍首相は、学校休校にともなう親の休業補償などは政府で責任をもつ旨を答弁しました。そのような予算など、あるのでしょうか。麻生財務相にいたっては、学童保育での財政負担を心配している国民の声があると質問した記者に対して「つまんないこと聞くね」と発言しました。とんでもない。
学校休校についても、このような親の実態や保育園・学童保育との整合性をどう考えるのか疑問などの声があがるや、安倍首相は各学校、地域での柔軟な判断をと述べ始めました。それなら一斉休校を要請したのは何だったのか。「思いつきなのか」との声が出るのも当然だと思います。
重ねて書きますが、本気で命や健康を守る政治の姿勢が問われています。スピード感が問われるとともに、その対策への裏づけがなければ、国民は言われっぱなしということにしかなりません。自己責任を迫られているだけになってしまいます。いま急ぐべきは医療体制・検査体制の拡充、医療現場で働く人たちを支えること、休業補償や金融支援などで、そのための財政確保は最重要課題のはずです。
そして信頼ある情報の発信も必要です。鈴木知事が「非常事態宣言」を発しました。全道の状況を掌握できるのは道庁ですし、まだ表には出ていない数値や専門家の意見もあるのかもしれません。命や健康を守る立場に立ち、知事の責任で道民へのメッセージを伝えることは必要だと思います。
同時に、道民に注意喚起をするのなら、可能な限りの正確な情報を発信することのほうが有意義ではないかと私は思います。安倍首相の一斉休校要請も、対策などがなく結論だけが発せられたことで混乱を引き起こすことにもなりました。これだけ多くの国民・道民がわが事として関心をもっているなか、大事なことは形式よりも事実を正確に伝えていくことだと思うのです。そもそも「宣言」の法的根拠も明確ではありません。「メッセージ」という意味なら、中身を伴うことのほうが重要です。
それは、恣意的な「宣言」などの発信を戒めることにもつながります。時の為政者が、社会の混乱に乗じて求心力を高めるべく緊急事態を悪用したことは、歴史的にも見られてきたことではなかったか。この週末に不要不急の外出を控えようというのが「宣言」の中心点なら、すでに学校からのプリントにも書かれていることですし、あらためて道民が現状を理解できるように整理して発信するのが行政の長たる手腕だとも思います。
鈴木知事は、安倍首相にも北海道の現状を伝えながら要請をするとも述べました。しっかり反映してほしいと思いますが、大事なことは、今ある仕組みや制度のもとで最大限のことを政府でやっているかという点だと私は思います。それは先に書いた予算と中身のとおりです。それ抜きに新しい支援策ばかりを引き出すということでは、これまでの政府の対応を免罪することにもなりかねません。ましてや、これを契機に緊急事態条項の議論につなげようと政府・与党が考えるようでは、まさに火事場泥棒ではないのでしょうか。
長く書きましたが、私なりに道民の命や健康を守るために、どう政治の責任を果たしていけばいいのかを考えてのものです。一斉休校を要請しながら、保護者が休むのに有休を使えなどと無責任な答弁をする安倍首相には本当にクラクラします。
今日も室蘭市・登別市をまわりました。道南バス協会では長谷川義郎社長から、コロナ対策はじめ人員確保や公共交通を支えるための手立てなどの話をうかがいました。コロナ対策も結局、政府は現場任せにしているのではと痛感しました。「運転手が熱を出したらどうするか」など、いろんな戸惑いを持ちながらも使命感をもって公共交通を守っていきたいとの話に、政治の側も責任を果たさねばと感じました。
街頭宣伝や、入党と「しんぶん赤旗」などのおすすめもして札幌へ。わが家の子どもたちは休校初日にして、早くも暇を持て余し気味。心身ともに健康であるように、わが家も悩みながらの毎日です。
【今日の句】そんなにも 不安の声が つまらんか
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