2013年2月18日月曜日

子どもが学校の廊下を走る理由

 白石区革新懇の「教育を語る集い」で、親の立場で発言をと依頼があり参加。学校現場で、子どもたちの目線に立った実践の発言に感激しました。

 子どもが取る行動には、きちんと合理的背景があるんだなぁと納得。

 その1つが「なぜ子どもは学校の廊下を走るのか」。

 「札幌の学校は、特に走りたくなるんです」--???

 私が通った石巻市の小学校もそうでしたが、本州は道路から学校の門へ入り、校庭を通って昇降口へ向かう学校が多いのです。

 学校側から見れば、中から靴を履き替えて、すぐに校庭。

 しかし札幌は道路に面して学校の門→すぐ昇降口という作りが多く、校庭は反対側。

 だから休み時間に校庭に行くには、走って校舎をグルッと回る時間も必要で、休み時間も少なくなってしまう--それで子どもたちは、つい走っているのだそう。

 なるほど!

 また、外が雪で遊べない北海道だからこそ、子どもたちが力を持て余してしまう。

 だから廊下ぐらいのスペースでは駆け出したくなるんですよ、と。

 小学校の先生によっては、教室内でフルーツバスケットやハンカチ落としなど、体を動かすことも時々入れているそうです。

 これまた、なるほど。

 もちろん注意もするわけですが、子どもの行動の意味を深くとらえて教育実践に変える--こういう先生と出会えれば子どもたちは、幸せですね。

 いじめだって、その背景が必ずある。

 道徳の教科化が、考えられているようです。

 背景を問わず、押さえ込むだけの指導では、必ず別の場所で発散される。

 子どもは、じゅうぶんな言葉や解決手段を持たず、困ったときに暴れたり手を出したりと、攻撃的な側面を持った存在だと私は思います。

 それが小さいときから集団のなかで、他者との関係を身につけて、その攻撃性をみずからコントロールできていくようになるのでは。

 いじめに向かう子どもたちに、命の大切を説く力を大人が持つとともに、子どもたちの「他者との関係」=社会性を帯びた存在にしていく努力をする必要があるのではないでしょうか。

 テレビやゲームへ釘付け。

 学校が終わって、余裕もなく塾や習い事。

 減っていく自然環境と遊び場。

 子どもたちに接する時間を持てない大人、その背景にある長時間残業や利益第一主義の経済体制。

 教育や福祉予算を、どんどん削って現場努力だけを強調する政治。

 子どもたちのために解決すべきことは、たくさんあると痛感しますね。

 【今日の句】 丸ごとの 子ども理解が 第一歩

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