2011年5月21日土曜日

54回目の国民平和大行進

 昨日の晴れから一転、小雨で寒い‥‥そんな中でも、毎年おこなう国民平和大行進が札幌入りして、私も参加してきました。

 5月8日に礼文島からスタートして、同じく根室やえりもから始まった北海道コースです。

 8月の原水爆禁止世界大会に向けて、市町村を歩き核兵器廃絶を訴える平和大行進。

 今年は、東日本大震災という事態を受けた、特別の年の行進となりました。

 集会では、被爆者の服部さんが「戦争のときは、足音が『戦争、戦争』と聞こえた。しかし、今日の足音はやさしく、あたたかく『平和、平和』と聞こえた」とのあいさつが、胸に響きました。

 原発事故が収まらず、原子力の利用・制御も問われる今年。

 核兵器廃絶はもちろんのこと、原発も段階的に撤去へ。

 そのさなかに、北海道電力が泊原発のプルサーマル発電に使うMOX燃料製造を、国に申請とか。

 技術的に未完成な原発に、依存し続けていいのでしょうか?

 【今日の句】 安心を 政府が言うほど 不安なり

2011年5月20日金曜日

道アイヌ協会の総会へ

 暖かい札幌!‥‥というより、少し暑かったかな。初夏の感じでした。

 今日は、紙智子参議院議員の代理で道アイヌ協会総会に出席しました。

 このような事態での国会中でもあって、他党の国会議員も秘書ばかりとなりました。

 加藤理事長のあいさつの中。

 「(研究として)生活調査が頼まれても、断る方も多い。

 いまも『アイヌ』と明らかにすることを、ためらうからだ」

 長く続く差別に、多くのアイヌが傷ついていることに、あらためて心が痛みます。

 超党派の議員の会もできていますが、政治の力がどうしても必要。

 加藤理事長は、他にも「教育」「年金」についても触れていました。

 新しい未来を、子どもたちへ。

 無年金という人も多い、高齢者に安心を。

 政府の議論は足踏み状態ですが、震災復興などと合わせて、一歩ずつでも前に進むために頑張らないとと痛感した総会でした。

 【今日の句】 大臣が 神を持ち出し 免罪って(‥‥与謝野氏!)

2011年5月19日木曜日

桜のじゅうたん

 両親が夕方、フェリーに乗って宮城・石巻市へと戻りました。

 少しはゆっくりできたかな‥‥。

 見送りに間に合うように、保育園へ娘の迎えに行き、その帰り道に「桜のじゅうたん」を見つけました。

 「さくら、さくら‥‥」と言いながら歩く娘。

 何のことかと思ったら、花びらではなく「花」そのものが落ちてないか探していたよう。

 咲き始めの頃に、いくつか拾ってきてたんです。

 しかし、探しているうちに見送りの時間が迫って‥‥。

 今度は宮城に行くからね、と約束して別れました。

 その間に、参議院では憲法審査会規程が可決(こちら)。

 「危機管理」が口実に。

 でも、欠陥は憲法にあるんじゃなくて、これまでの政府の対応にあるのでは。

 主権者である国民の切実な願いも、憲法改定ではなく被災者救援・原発事故収束でしょう。

 火事場泥棒的なやり方は、許されません!

 【今日の句】 憲法が 日本をゆがめた わけじゃなし

2011年5月18日水曜日

旭山動物園へ

 昨日から休みをいただき、両親に娘と層雲峡温泉に泊まり、今日は旭山動物園へ。

 説明不要! 天気も良く、動物たちの「生きる姿」を堪能してきました。

 

 うまく写真が並ばないのは、私の技術不足。

 少しは親孝行できたかわかりませんが、喜んでもらえました。

 【今日の句】 動くから 動物なのと 教えられ

2011年5月16日月曜日

両親から石巻市の現状を聞いた

 昨日から、石巻市に住む私の両親が札幌に来ました。

 震災の影響で、少し長めの休暇となったこともあってのこと。

 お見舞いをいただいた方にも、お礼を兼ねて私も回ってきました。

 震災の状況を聞くたび、こうやって会えること自体、ありがたいことと思いました。

 父や母の話によれば、ですが--

 旧石巻市(合併したのです)の2/3は、浸水したようだ。

 地盤が70cmも下がったので、満潮のときに各地が水没する。

 義捐金が渡されるのが、とにかく遅い。

 罹災証明を受けるのに、役所でも「印鑑」「保険証か免許証」を求められる(流されて、ないのに!)。

 家の上にバス、船。

 瓦礫を取り除けたのは、道路くらい。

 物資は足りてきてるが、避難所の食事はパン、おにぎりばかり。

 ボランティアも減っていて、野菜や温かい食事が取れていない。

 市有地も多くが浸水したため、仮設住宅を建てる場所がない。

 学校が避難所になっている(そもそも、学校も被災して使えない)ため、子どもたちが廊下や床で勉強している。

 田んぼに、海水・ヘドロ。今年は作付けは無理かも。

 漁船がない。買えない。借金漬けになる。

 養殖は結果が出るのは2、3年後。それまでの生活どうする。

 宮城県の知事が「漁業権を企業に」と言っているが、漁師は怒っている。

 --断片的に書きましたが、どれもが大変な事態ということがよくわかりました。

 両親の家や周辺は河川に近いところですが、土地の高低のせいか津波の通り道にならず、ひざ下くらいまでで奇跡的に家には被害がありませんでした。

 それでもガスの復旧が数日後、電気は1週間後、水道は1ヵ月後の復旧でした。

 当時は市内にいても家に帰れず、ある方は4日ぶりに、残っていた線路を歩き渡ってきたそうです。

 私の上の妹とも、私は当日に連絡が取れていたのですが、両親とは携帯などがつながらず、数kmも離れていない場所なのに無事を確認できたのは4日後でした。

 「すべて流された地域からすれば、私らは天国に住んでいるようなもの」と、両親は言います。

 こうやって無事に再会できるのですから、個人的には嬉しいことは違いありません。

 一方で、今も苦しむ人が多くいることに、何か後ろめたい気持ちが残ります。

 本当の意味での「再建」は、とてつもなく長い時間がかかることが、両親の話からもよくわかりました。

 事情があって足を運べませんでしたが、必ず現地に行って何かの力になりたい。

 北海道にも、津波の被害を受けた地域もあって、支援が必要です。

 少しですが親孝行をして苦労をねぎらい、私も決意新たにがんばろうと思います。

 【今日の句】 希望の灯 見える時まで 全力で