2018年7月21日土曜日

熱気あふれた演説会

 大雨でがけ崩れがあった留萌市での調査をおこない、志位和夫委員長が来札しての演説会へ。暑い中ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

 気温が31℃と、この夏で札幌では(たぶん)最高の暑さのなか3000人を超える方が中島公園に足を運んでくださいました。道議・札幌市議予定候補もそろって紹介され、連帯のスピーチはユニキタの更科大輔さん。熱いスピーチに、会場から大きな拍手が送られました。

 私は道内をまわっての決意で、特に鉄路を国の責任で守ることを訴えました。安倍政権は観光立国を掲げますが、観光政策を言うならカジノではなく鉄路を守ることこそです。紙智子参議は昨日までの国会の様子も報告し、日本共産党を伸ばして安倍政権を終らせようと力強く呼びかけました。

 志位委員長は「東京からくらべれば涼しいですが、みなさんは暑いですか」と前置きし、安倍政権を変える3つのチェンジ(①嘘やごまかしのない政治、②財界優先の経済政策の転換、③日本共産党の外交提言)を紹介し、国政の4大政策「TPP」「ローカル線廃線」「原発再稼働」「カジノ」から北海道を守るためには日本共産党を大きく!と呼びかけました。

 演説会後は24歳の青年はじめ入党にも立ち会い、実は会場を出るころに「畠山さんの話を聞きに来た」という(時間などを間違えていたそうです)女性との話にも。前に聞いた街頭宣伝で「わかりやすくて」投票もしてくれて、生活保護を受けているそうですが「安倍政権の弱い者いじめはおかしい。そう声を上げてくれているのは日本共産党だけですよね」と話も弾むほど。せっかくなのでと入党の呼びかけパンフも渡し、地域の党員さんと会えるよう連絡先も教えてくださいました。こういう出会いも本当にうれしいですね。

 午前中の留萌市での調査は、大雨によりがけ崩れが起きた現場でした。早く直してほしいのに国が地歴をめぐって明確な態度を取らないため、地元の坂本茂市議を通して相談が寄せられていたのです。市議予定候補の小沼清美さんも、いっしょに現場をまわりました。

 国有林から土砂が流れ込んだ水田にも足を運びました。復旧費用の重さなどが要望として出されたほか、気温が上がらず生育が遅れていることの心配の声も聞きました。国としてできることはないか、私も要望しますと伝えました。

 久しぶりに帰った自宅は、子どもたちの笑顔があり一安心。明日も元気にがんばります。

 【今日の句】暑いのが 苦手な私 やせ我慢

2018年7月20日金曜日

離れているのは島ではなく政治

 今日は幌延町・遠別町で「つどい」、羽幌町では懇談にまわっていた途中に、稚内市での「つどい」の参加者が入党されたと嬉しい報告もありました。

 なかなか来れない地域をまわるだけに、多くの方と出会えることだけでも嬉しくなります。私の話や、参加者同士の交流も通して日本共産党への信頼を高めてくれることが、さらに嬉しい。国会ではカジノ解禁法案が成立のようですが、国会の外では安倍政権を変える力がコツコツと広がっているのです。

 幌延町では深地層研究センターがあるだけに、原発や再生可能エネルギーの問題に話が集中しました。鷲見悟町議からリアルな町政報告も話され、粘り強い運動と「政治を変えて地域を変える」ことも話し合われました。

 遠別町では、農家である木村ひでお町議から開拓の歴史や農家の減少について、ここでもリアルな発言がありました。人口減少に悩むのは道内どこでも共通ですが、展望を持って第一次産業に取り組めることこそ対策のカナメであり、そのために国が大きな目標をもって支援を強めるべきと私からも訴えました。

 羽幌町では金木直文町議と、町役場と沿海フェリー社を訪れました。小樽海技学校の廃校問題で船員確保が難しくなるのではと不安が広がるなかで、天売島・焼尻島を抱える羽幌町で現状を聞くことができたのは大きな意義がありました。町役場で聞いた「生活物資を運ぶ航路も、国道と同じように見てほしい」との言葉は目からうろこでした。

 私の母の実家も離島なのです。子どものころは「どうして離れた島に住んでいるんだろうか、不便じゃないんだろうか」と思ったものでした。しかし、いま感じることは離れているのは島ではなく政治だということです。漁業や観光で働く方がいる島の生活を、しっかり支えるのは政治の責任。船員確保も含めて、しっかり現状を国へ届けなければと思いました。

 どの町でも日本共産党の地方議員が、くらしや地域に根付いた活動をしていることも今日、あらためて実感しました。加えて、事務所スタッフの妹さんが夜に食事のお弁当まで持ってきていただき感激の極み。とてもおいしくいただきました!

 【今日の句】強行の 数だけ民意も 離れてく

2018年7月19日木曜日

人の命より賭博を優先か

 表敬訪問や街頭宣伝、「つどい」などで稚内市内を駆け回りました。安倍政権への批判の声は稚内でも大きい!

 特に「つどい」ではカジノ解禁法案について「どうして賭博を進めようとするのか信じられない」「アメリカのカジノ業界から献金をもらって、もうけもアメリカに行くんでしょ」などの声が次々。一方で参院内閣委員会では法案の採決が強行されたとかで、本当に腹立たしい!の言葉に尽きます。

 「不信任案を連発する野党もだらしない、との報道を見ましたが」との質問もありました。数の力で採決を強行する以上、野党として食い止める手段としては不信任案を出して審議を止めることはあります。ただ提出する以上は理由も必要ですし、実際、それだけの理由が十分な政府・与党だと思います。

 合わせて知ってほしいのは、野党として法案も提出しているし、その審議は与党が拒否している事実です。一例は、被災者生活再建支援法の改正案。住宅再建への支援金300万円を500万円まで引き上げる法案ですが、豪雨被害もあったなかでカジノ解禁より優先して審議すべきことではないのか。野党がだらしないのでなく、与党が独善的な国会運営をしているということなのです。

 人の命より賭博を優先するような、そのために国会会期を延長したのでしょうか。被災された方々は、この政治の現状をどう感じているのでしょう。悲しくもなりますが負けてもいられない。やっぱり安倍政権をどうしても終わらせないと。

 話は前後しますが、表敬訪問では稚内市の現状なども聞きました。水産加工の現場では原料不足に苦労していること、酪農家で若い力が増えていることなどなど、現場をふまえて国に働き掛けることの大切さをあらためて実感しました。力強い激励もいただきました。

 明日は幌延町・遠別町・羽幌町とまわります。

 【今日の句】胸はって カジノの意義を 言えるのか

2018年7月18日水曜日

広がる共同の輪

 今日は紋別市議選の応援からスタート! その後はバスなど乗り継ぎ4時間半かけて稚内市へ、元気な「つどい」に参加しました。

 紋別市は野村淳一候補が、懸命の訴えです。なにしろ病院での医師不足や、国保税・介護保険料などの値上げが市民生活を直撃しているだけに、日本共産党の議席はどうしても必要なのです。それを一番知っているのは、長く議員をされてきた野村候補だからです。

 私からも、元市職員が「野村さんの質問には緊張感がある」と言っているのは、市民の声にもとづいた説得力があるからですと紹介しました。選挙は、どの候補も「市民の声を届けます」と約束します。もちろん大事なことですが、さらに深堀りして質問をするのは日本共産党・野村淳一さんだからこそ。ここを一番知ってほしく、私も力を込めて訴えました。

 その後は雄武町→枝幸町とバスに乗りましたが、本当に北海道は広い!と痛感。紋別から稚内まで小選挙区の範囲ですが、斜里町から数えたら稚内まで車で7~8時間はかかるのではないでしょうか。それだけの広い地域でも、どの町でも私のポスターを貼っていただいているのです。感謝の一言しかありません。

 稚内市に着いてからの「つどい」では、とにかく話題が途切れないほどでした。安倍首相の「ずるさ」から、稚内市の防災対策、戦前からの共産党のがんばり、家庭での共産党についての考え方の違いなども出されて、みなさん語りたいことが山盛りなんだなあと実感しました。

 私から、だからこそ日本共産党員が各地にいることが大事だと話しました。人を人とも思わない暴言や残虐な事件もあるなかで、人の痛みを自分の痛みとして、社会を根っこから支えている党員の大事さを強調しました。うれしいことに「書いてくればいいんだね」と入党を約束される方もいらっしゃいました。

 稚内市でも、平和のとりくみや医療を守るとりくみで共同の輪が広がっています。そのなかでも日本共産党果たしている役割は大きい。明日も稚内市内を1日まわって、いっしょに政治を変える展望を語り合いたいと思っています。

 【今日の句】どの町も 命の守り手 共産党

2018年7月17日火曜日

空襲を受けた町でこそ

 町議選が始まっている本別町へ。日本共産党の、あぼ静夫候補を再び議会へ送ってほしいと町内をまわりました。

 あぼ候補は議員7期を務めたベテランですが、どの選挙にも「大丈夫」ということは絶対にありません。これまでの実績とともに新たな決意、安倍政権への審判などに、あぼ候補は熱く訴えました。

 一昨日は、本別町でも空襲を受けて40人が亡くなられた日。当時、室蘭や釧路、根室などとともに本別町にも大きな被害があったのです。町民にとっても「記憶として引き継がれている」(あぼ候補)ことであり、安倍政権が9条改悪をねらうなか町議選挙では平和を守る日本共産党の議席をとの訴えでした。

 もちろん町の課題でも、入学準備金の3月支給や住宅リフォーム制度の導入などに道を開いてきたこともあり、まさになくてはならない議席が、あぼ候補の議席なのです。私からも、2年前の台風被害で朝から被災箇所を回った、あぼさんの姿を知っているだけに、どうしても議会に必要ですと訴えました。

 ちょうど国会では日・EUの経済連携協定の署名がされた今日でした。安い農産物の輸入拡大を前に、農家の不安も広がるばかり。あぼ候補自身も農家であるだけに、農業を守るためにもご支援をとも強調しました。

 日本共産党の1議席というのは、本当に大きな大きな意味を持つ1議席です。何としても勝ち取ってほしい。

 明日も選挙の応援で、今夜のうちに紋別市に入りました。佐々木とし子道議予定候補や陸別町の谷ゆうじ町議が車を出していただき、本当に感謝!

 【今日の句】また今日も 与党の強行 目の当たり

2018年7月15日日曜日

先輩の積み重ねがあったから

 今日は党創立記念日。街頭からも日本共産党の歴史を語り、地域もまわるなか「記念日ならば」と5人の方が赤旗日曜版をお読みいただきました。

 日中の札幌は雷が鳴り響き、腹に響くほど! 奇跡的に宣伝のときには雨もあがり、車の窓を開けて手を振るお母さんと子どもの姿もありました。宣伝をずっと聞いていて、終わった後に豪雨被害への救援募金に応じてくださる方も。しっかり被災地へ届けます。

 今年はカール・マルクスの生誕200年でもあります。科学的社会主義を打ち立て、日本でも「資本論」「共産党宣言」などが大きな影響を与えました。一方で日本では、全国での労働争議や米騒動などくらしを守るたたかいや自由民権運動・大正デモクラシーなどの流れもあり、そのうえで日本共産党は創立されたのです。マルクスの設計図で、つくられた党ではないということです。

 戦前の日本では、侵略戦争に反対することが党の旗印でした。そのため絶対主義的天皇制に反対したことから、私たちの先輩は「非国民」「アカ」など不当な差別を受け、特高警察による不当逮捕や拷問・虐殺もおこなわれました。

 しかし、日本国憲法に戦争放棄や基本的人権の尊重が盛り込まれ、私たちの主張が正しかったことが証明されました。日本共産党が「ぶれない」と評されるのは、その方針とともに歴史に裏付けられた姿勢にあるんですよね。

 だから旧ソ連や中国が「言うことを聞け」と押しつけてきたときも真っ向から批判し、自主独立の立場を確立することになりました。その後の旧ソ連崩壊には「もろ手を挙げて歓迎」とのコメントも出し、私たちの綱領にもしっかり明記しました。日本共産党は、独裁や強圧に立ち向かってきた党なのです。

 国内政治では長く「日本共産党を除く」体制や「2大政党制」キャンペーンのもとで、前進できない時期も味わいました。しかし、いまや「市民と野党の共闘」に日本共産党が欠かせない存在になり、新しい政権をめざす地点にまでいます。先輩たちの長く粘り強い活動が、ここまで情勢を変えてきたのでした。

 街頭でも訪問でも、このような党の歴史を紹介しました。「自分に何かできるなら」と快く購読もOKしてくれた男性は、「安倍政権を本当に終わらせないと大変なことになる」と期待の声を寄せてくださいました。その期待に、何としても応えたい。

 私の入党は学生時代、党員だった先輩が「侵略戦争に反対したのは日本共産党だけだったんだよ」と教えてくれたことがきっかけでした。その一言がなければ、今の私はありません。その「一言」を言える党員が各地にいることで、政治は必ず変えていくことができると思うのです。

 ブログをお読みのあなたも、この機会に日本共産党のことを、さらに知っていただければと思います。そして仲間となって、いっしょに世直しを!

 【今日の句】あきらめぬ 大事さ今は よくわかり