2019年8月16日金曜日

晴耕雨読

 今の札幌は弱い雨ですが、強く降っている道内の地域もあるかもしれません。警報も出ていますので、お気をつけください。

 3年前の連続台風や、昨年の胆振東部地震の前日に襲った台風などを思い出します。特に3年前は南富良野町で空知川が夜に決壊して、現地を見たときに「これで犠牲になった方が出なかったのが不思議」な状況でした。重ね重ね、ご注意ください。

 私にとっては読書の1日でした。久しぶりに手にとった高野悦子「二十歳の原点」と、いまドラマ「ノーサイド・ゲーム」に夢中の家族(あまり私は見ていないのですが)の雰囲気もあって池井戸潤「民王」を一気に読みました。「民王」は、ドラマの方が有名なのかもしれませんね(こちらも私は見ていません)。

 「二十歳の原点」は、私が学生時代に先輩から薦められた一冊。大学紛争の時代のなかで人間として生きることとは何か、理想とする自分とは何かを見つめながら、最後はみずから命を絶ってしまった高野悦子。当時、共感できる部分とできない部分とを仲間で議論しあったことを思い出します。

 さまざまな評価があるのは承知のうえで、やっぱり次の言葉が強く私の心に残っています--独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である--。ここから先に進むことの苦しさを誰にも理解してもらえなかったという思いが、あらためて日記から伝わってくるようでした。時代背景も反映していたと思います。

 からみあうような青春時代の感情や社会認識を吐露する一言一言に、学生自治会の活動をしていた自分を重ねながら読んでいました。独りではないけれど、私は学生のころから成熟しているんだろうか、それゆえに失くしてるものもないんだろうかと自問自答しながら読みふけりました。

 「民王」は、気晴らし程度に読もうと思って手にしていた本でした。実際の政治の現場にいた者として、議員会館に総理や官房長官が忍び込むという設定に苦笑したり、薬品認可の規制緩和は微妙な政治課題であるとは思いつつも、それはそれとして「誰のために政治をするのか」というシンプルな問題提起は胸に刻みたいと思いながら読みました。

 本筋とは別に私が印象に残ったのは、主人公の息子・翔が就職試験の面接で、面接官が言った台詞--君みたいにさ、理想論ばっかり言ってる若者っていうのは質(たち)が悪いんだ。だが、理想論すら語らない若者はもっと質が悪い--でした。若者からすれば上から目線の台詞という印象を受けるでしょうが、ここは若者へのエール、若者の気持ちを失わない者へのエールと受け止めたい。

 現実と理想との間で、もがいたり苦しんだりします。政治変革や社会運動にかかわる方ばかりでなく、仕事や家庭のことでも直面することばかりです。それでも社会は変わるし変えられる、つながれば道は見えてくる--このような発信をしてきたつもりでしたが、さて。行動が言葉にともなっているかと、これまた自問自答する1日でもありました。

 【今日の句】積ん読を 少しは解消 してる夏

2019年8月15日木曜日

自由を奪うな、戦争するな

 74回目の終戦の日は、平和の誓いとともに日本の侵略戦争と植民地支配という歴史を確認する日でもあります。犠牲になられた方々に哀悼の意を表しながら、決意を新たにしました。

 紙智子参議院議員と、街頭から日本共産党の決意や立場などを述べました。司会は4月の地方選挙で道議候補を務めた森つねとさんがおこないました。

 紙議員は、安倍首相が簡単に改憲できない参議院選挙の結果を生み出したのは「市民と野党の共闘」の力だと指摘。一方で、札幌ではヤジさえも出してないのに道警が市民を排除した問題や、愛知で「表現の不自由展」が中止されたことなどを取り上げて「言論の自由」「表現の自由」を統制する動きを厳しく批判しました。

 紙議員が初当選した年に、日本軍により「慰安婦」とされた女性から聞いた証言が忘れられないと振り返って「戦争しない国はもちろん、アジアの国々との友好関係をつくるような政治へ、いっしょに声をあげよう」と呼びかけました。足を止めて聞いてくださった、ある大学の名誉教授の方が「安倍政権になって(外国との関係が)悪くなった。がんばってください」と声をかけてくださいました。

 私は安倍首相の改憲の動きを批判するとともに、米国にモノ言えない姿勢は北海道でも顕著であることを述べました。後志管内で米戦闘機が低空飛行訓練をしても抗議さえできないこと、また来年にはオスプレイも用いた日米共同訓練が計画されていることなどに触れて、これで憲法9条など変えようものなら「戦争できる国」に突き進むことになってしまうだけに、止めるため力を合わせようと呼びかけました。

 先だって治安維持法犠牲者国家賠償同盟(治維法同盟)北海道本部の宣伝にも参加しました。同じような話をしつつ、戦争反対を口にしただけで逮捕・投獄されて、青年たちの命まで奪ったのが治安維持法であったことにも触れて、「戦争が明日すぐには始まりません。自由を奪い、差別感情が広がり、異論を封じ込め、政府がウソやごまかしを広げるなかで戦争に向かう雰囲気ができていきます」と強調しました。

 戦争に向かった昔の日本社会と、今の日本社会での共通点も浮かび上がっているのではないでしょうか。自由と民主主義を抑え込む現実や、アジアとの友好関係をつくる意義について、もっと積極的に訴えていかなければいけないと話しながら強く感じました。

 ご家庭や職場、地域で平和や戦争のことを話す機会は、そう多くないかもしれません。しかし、いま私たちが生きている社会の現実と歴史の真実を、終戦の日の今日に語り合う意義は大きなものだと思います。次の世代に引き継ぐべきは、やっぱり憲法9条であると確信しています。

 【今日の句】過去に目を閉ざせば 今も見えてこない

2019年8月13日火曜日

なくてはならない、この議席

 多数激戦となった上富良野町議選。日本共産党・米沢よしひで候補は10期目めざし、元気に町内をまわって訴えています!

 自衛隊駐屯地がある町で、信頼を集めて長く日本共産党の議員活動を勤めてきた米沢候補。お世話好きで親しみやすく、しっかり議会でも発言する姿に「トップ当選めざすくらいに頑張って」との激励も寄せられているそうです。

 介護施設ラベンダーハイツで正規採用を増やしたこと、社会教育総合センターのトイレ洋式化、算数セットを学校備品とすること、就学援助入学準備金の2月支給、福祉灯油の実施、第2子以降の3歳未満児は保育料無料など、まさに「町民のくらしを支える現場に米沢あり」との活動をされてきたのです。

 とはいえ、まだまだ届けなければいけない声があります。米沢候補は第一声で、雨漏りする町立病院の改修、高すぎる国民健康保険税の軽減、周辺自治体では実施している中学卒業までの医療費無料化の完全実施などを実現したいと力を込めました。

 そして何より、安倍政権のもとで憲法9条を変えることは許さない--同じ町民である隊員を戦場へ送るようなことはさせないと、心を込めて訴えた米沢候補。くらしや平和のことで、上富良野にとってなくてはならない議席!

 私からも、どうしても必要な議席であることの値打ちとともに「選挙に『大丈夫』ということは絶対にない」ことを強調して、ご支持を広げていただけるようお願いしました。町にも国にも、しっかりモノ言える議席をなくすわけにはいきません。

 霧雨の朝でしたが、候補が出発するころには晴れ間が出てきました。いい結果が出るようにと願って、上富良野を後にしました。上富良野に知人・友人などいらっしゃる方は、ぜひ米沢よしひで候補をお広げください!

 【今日の句】どの町も 命を守る 力あり

2019年8月12日月曜日

こんなにも富良野線に

 明日が告示となる上富良野町議選挙の応援へ、隣町の美瑛町まで来ています。明日の第一声に駆けつけます!

 この時期は観光で富良野方面へ来る方が多いため、なかなか宿も取れません。そこで参院選のときに、お世話になった民宿へ足を運びました。今日は少し雨も降ったようですが、ほどほどに明日からは晴れてほしいもの。候補の身としては酷暑や冷たい雨ほど、体に堪えるものはないんですよね。

 旭川から乗ったJR富良野線は、部活帰りと思われる高校生や、旭川へ買い物にいったような袋を抱えた農業実習に来ているアジアの方々、そして観光で来られた方々などで席は埋まりました。JR北海道が「維持困難」とする路線の1つに富良野線がありますが、これだけ多様に使われている路線をなくすなんて考えられません。

 お盆を迎える時期に、JRで帰っているという方も多いはず。そして、これから収穫の秋は農作物を運ぶ貨物列車が大活躍します。鉄路の維持へがんばらなければと、つくづく感じながら宿に着きました。

 また、観光地としての富良野は、やっぱり農業あっての富良野でもあります。田畑が広がる風景そのものは観光資源であるともに、私たちの命を支えてくれる大切な大地。あらためて、そのありがたみを、しみじみと感じます。

 町議選挙は、確かに町の課題への政策が中心です。とはいえ、根本にある国政を変えなければ町自体が守られないのですから、国政への態度も問われるべきと思います。しっかり明日は、このような点も訴えていきたい。

 【今日の句】儲けだけ追って 広がる格差かな

2019年8月11日日曜日

粘り強く続けることの大切さ

 深夜まで語り、踊り、歌い、交流した矢臼別平和盆おどり。息が白くなる寒さのもと、55回目の今年も熱い平和の思いを確認しあいました。

 私が参加したのは釧路にいた20年前、今も出演している合唱団アンラコロのメンバーとしてでした。1952年に入植し、原野を開拓した川瀬氾二さんが自衛隊に土地を渡さず、まさに「演習場のど真ん中」で川瀬さんと連帯して開き続けてきたのが平和盆通りの歴史です。その歴史を知って初めて参加したときは緊張しましたが、実際は「誰もが自分らしくいられる場所」としての平和盆おどりでした。

 今年は川瀬さんが亡くなって10年。節目の年に平和資料館が6月、完成しました。盆おどりが始まる前に顔を出すと、ちょうど松平晃さんのトランペットコンサートの真っ最中。沖縄から来られた川崎よしみさんとの三線とのコラボの奏でがすばらしい! 矢臼別は「豊かな酪農郷」であるとともに「文化の聖地」でもあるのです。

 矢臼別住人である二部黎さんが、展示資料を紹介してくださいました。若き川瀬さんの姿や、盆おどりの源流とも言うべく学生が援農に来ていた写真など、あらためて矢臼別の歴史を学びなおしました。なんと、その写真に映っている、援農に来ていた学生が「当時の私です」という方が隣にいてビックリ! ますます歴史の重みを感じました。

 資料館には長く運動にかかわってこられた北海道教育大学・三宅信一教授や、住人の浦舟三郎さんの姿もあり、お元気そうな姿が何よりでした。2年前にオープンした「平和の家美術館」では、同じく住人の倉谷あみさんともお会いできて少し歓談。大自然のなかでの創作活動の醍醐味も、お聞きしました。

 平和盆おどりに初めて来られた方の多くは、ステージでの文化プログラムの豊かさに驚かれます。人間らしく生きるための平和運動ですから、拳も振り上げながら豊かな文化活動も、そして誰もが自分らしくいられるように--と築かれてきた歴史があるのです。この矢臼別の運動に、私も育てられた1人といっても過言ではないです。

 盆おどりが始まる前の開会集会では、実行委員長の上出さん、住人の浦さん・二部さん・倉谷さんが思いを込めてあいさつされ、私も来賓として紹介されましたが「私も矢臼別で育った仲間の1人」として連帯のあいさつ。その後は、餅つき・餅まきから地元のみなさんの朗読や歌と踊り、長くうたわれてきた「さくら」の大合唱、そして「花いかだ」と舞台と青年(私も加わって)の「命のコール」で、会場の盛り上がりも最高潮に。

 松平さんのトランペットを合図に数十発もの花火が打ちあがり、今年は多く参加している子どもたちも参加した、かがり火の点火は感動的な光景でした。浴衣を着る人もなく、長くつや作業着、寒い今年はジャンバーも羽織りながら、各地でつくってきた垂れ幕や行灯を掲げながら盆おどりをする光景も矢臼別ならでは。その後も再びステージでのプログラムに戻り、まさに深夜まで平和の思いが交流されるのです。

 秋田県から来られた方は「参院選で勝ったよ!」と持参された「イージスアショアいらね~」缶バッジを譲ってくださったり、福岡県からも「フェイスブックでよく知ってます」と一緒に写真撮影するなど、多くの出会いがあるのも矢臼別はならでは。もちろん交流するばかりでなく、オスプレイも予定されている日米共同訓練を許さないアピールや沖縄との連帯も参加者みんなで確認しあいました。

 付け加えるなら、この会場の準備や後片付けは、釧路も含めて地域のみなさんの奮闘があります。感謝と敬意の気持ちも、あらためて述べたいです。粘り強く運動することの大切さを、あらためて確認できた1日でした。

 【今日の句】D型の 屋根の憲法 光ってる