2018年8月11日土曜日

政治の根本がゆがんでる

 今日はブルーのシャツで沖縄県民大会に連帯! 札幌南区で千葉なおこ市議予定候補と3ヵ所での「つどい」にまわりました。
 
 報道で知るのみですが、7万人が集まる熱気あふれる集まりになったようです。亡くなられた翁長知事の席が用意されていたのを見ると、グッと胸に迫るものがありました。遺志を継いで辺野古に基地をつくらせないために、北海道でも連帯と支援を強めたい。

 「つどい」でも、さまざまな意見が活発に出されました。野党共闘、年金や介護、働き方、子育て、政党助成金、日本共産党の独自の役割とは‥‥時間が足りないほど、次から次へと安倍政権を変えたいとの思いが語られました。

 ある女性の方が「高齢化だって少子化だって、人口統計を取っているんだから昔からわかっていたはず。今まで政治家は何をしてきたの」と話されたことは心に響きました。大型公共事業や軍事費に莫大な予算を注ぎ込み、くらしを支えることを後回しにしてきた自民党政権の責任は大きいと私も応えました。

 いや、「支える」ではないんです。憲法には基本的人権を尊重することや、社会福祉などを国の責任でおこなうことが明記されています。このとおりに政治を進めていれば、どれだけ今の日本はくらしやすくなっていたことか。根本がゆがんでいるのだと、ふと気がつきました。

 そう考えると、ゆがんだ根本によって大きく苦しめられているのが沖縄なんだとも気がつきます。いったい安倍政権は、どこを向いているのか!

 【今日の句】団結の 強さを政府 思い知れ

2018年8月10日金曜日

新自由主義で里山が荒れる

 もぎたてのトマトやトウモロコシをいただきながら「つどい」や宣伝にまわるという、なんと贅沢な恵庭市・千歳市でのキャラバン。ありがとうございました。

 今年は長雨や日照不足もあり、全体として農作物の出来が心配です。以前にも書きましたが、麦を刈ってみたらスカスカだったという地域もありました。今後の天候も心配になります。

 ところが今日いただいたトマトもトウモロコシも、甘くてみずみずしい! 大地の恵みと農家の方々に感謝の気持ちが湧いてきます。この味覚を子どもたちにこそ、舌で記憶してほしい。そうやって第一次産業の大切さの理解につながるのではないかと思うのです。

 お会いした農家の方から「国の補助金は規模拡大を条件にするので使いにくい。これでは家族農業が続いていかないのではないか」との話を聞きました。そのとおりと思いました。多様な生産主体を応戦してこそ、農地も地域も守られます。農業で大儲けをめざす農政ではなく、持続的・安定的に農家が続けられる農政こそ必要です。だから価格保障・所得補償の充実が大切なんです。

 ある方から「自民党で規制緩和が進められて、水源まで外資に買われようとしている。これでは地域に安心して住めなくなるのではないか」という意見もいただきました。このご意見も、そのとおりと思いました。命やくらしにかかわる基本的なことは、国や自治体など公的に守られる必要があります。それを安倍政権は市場にまかせようと規制緩和・新自由主義路線を進めてきました。これでは里山が荒らされていくことにもなりかねません。資本はもうけが第一だからです。

 どこでも時間が足りなくなるぐらい、今の政治に対しての意見が出されます。日本共産党への期待も注文も、率直に出されます。しっかり受け止めてがんばりたい。支えていただくためにも入党してほしいことを、今日も心から訴えました。

 明日は札幌南区での活動です。

 【今日の句】食料に 困らぬ国こそ 豊かなり

2018年8月9日木曜日

核廃絶への本気さが安倍首相に見えない

 長崎への原爆投下の日の今日は北広島市・江別市で宣伝にまわり、街頭から核兵器禁止条約を批准する日本政府に変えよう!と訴えました。

 長崎の式典あいさつでも、核兵器禁止条約に触れなかった安倍首相。被爆者は、どのような思いで聞いていたのでしょうか。グテレス国連事務総長も参加され、昨日は被爆者との懇談で「私は連帯するために来た」と述べた姿勢にこそ希望を感じます。

 田上・長崎市長は核兵器禁止条約への賛同を求め、北東アジア非核兵器地帯の実現をとも述べました。安倍首相が言う「橋渡し」という役割にとどまらない、もっと積極的なイニシアチブを発揮することが求められているのではないのでしょうか。それを安倍政権に期待できないのなら、新しい政権に変えなければなりません。

 北広島駅前のレストランで昼食をとっていると、署名を集める宣伝の声も聞こえました。あまり見えませんでしたが、たぶん核兵器廃絶を求める署名の呼びかけだったと思います。長い間、被爆者と国民が粘り強く声をあげてきたことで世界は動き始めました。確信にして、私も核廃絶を呼びかけ続けようと思いました。

 北広島でも江別でも、党員や支持者のみなさんが駆けつけて話を聞いてくださいました。雨も心配されましたが、北広島駅前で少し降ったぐらいで何とかセーフ。雨が降ると音も打ち消されるし、せっかく足を運んでくださったんですから落ち着いた状況で聞いてもらいたかったので一安心でした。

 その後は入党の呼びかけなどもおこないました。前向きに考えてくださっているようなので、ぜひ決意してくれるといいな。明日は恵庭市と千歳市へ向かいます。

 【今日の句】廃絶へ 開いた扉 閉ざさせない

2018年8月8日水曜日

今こそ不屈に

 今日は石狩市で終日、懇談や「つどい」でまわりました。終了後に沖縄・翁長知事が亡くなられたと聞いて愕然。言葉になりません。ご冥福をお祈りいたします。

 翁長知事と面会したことはありませんでしたが、紙面などを通じて、辺野古への新基地建設を許さない迫力はとても伝わっていました。私が現職だったときに赤嶺政賢衆議院議員の報告を聞くにつれ、不屈にたたかうことの重みを実感したものでした。

 翁長さん、本当におつかれさまでした。しっかり遺志を引き継ぎます。来るべき知事選は、北海道からも最大の支援ができるようにします。

 さて、石狩市内での懇談はJAいしかり、たんぽぽ認定こども園へ。蜂谷三雄・長原徳治・三崎伸子の市議といっしょでした。写真はJAいしかり・中村武史組合長との懇談の様子です。

 北農中央会・飛田会長もそうでしたが、今の農政に大きな影響を与えている規制改革推進会議に対して中村組合長も疑問の声をあげられました。とにかく振り回されっぱなしというのが率直な感じというのは、どこの農協でも聞かれる言葉です。生産者の立場に立って、持続的・安定的な経営ができるような支援こそ必要ですねと私からは述べました。

 たんぽぽ認定こども園では、田城理事長・二ツ川園長はじめ職員さんなどとも懇談させていただきました。石狩市でも広がる子どもの貧困、仕事で自治体をまたぐ場合の広域措置など、保育の現場の実情をうかがいました。この園は日本で初めてNPO法人として運営主体となっているのですが、蜂谷市議の尽力があったことも紹介されました。聞いた話を、しっかり受けとめますと話しました。

 石狩市花川と、夜には浜益で「日本共産党と日本の未来を語るつどい」。多くの方が参加してくださいました。どこでも「安倍首相はやめてほしい」との声があるのに、どうしたら本当に退陣できるのか--こういう思いに応える話をとリクエストが事前にあったので、国会で経験したことも交え、来年の地方選・参院選で日本共産党を大きくしてほしいことを強調しました。北海道からは、何としても私を選挙区で押し上げてほしいことも訴えました。

 花川では「国会が空洞化している。野党も質問の中身を調整できないのか」「年金基金で株価を支えていて、これからの日本経済は本当に大丈夫か」「来年の消費税増税とともに、複数税率やインボイスの導入で中小企業は大変な状況になる」などなど、意見や質問も相次ぎました。「教員をしていた時に『社会を変えるには1人が100歩進むより、100人が1歩ずつ進んだほうがいい』と聞いて決意した」など、自分の入党を振り返って話をされた方も。そういう方々の力で、今の日本共産党があるんですよね。

 浜益でも、党費や政党助成金の考え方、まわりにどうやって共産党のことを伝えたらいいか、などの話が出されました。あまり来る機会をつくれなかった浜益でしたので、このような率直な意見が出されるのは嬉しいこと。福祉職場などの仕事を終えて駆けつけてくださった方もいて、本当にありがたいと思いました。

 そうそう、石狩市は町のなかでもオロロンラインでも、私のポスターがとても目立つほど貼ってくださっていました。「昨年は残念だったけど、来年は大丈夫だよ!」と激励してくださる方も。その期待に応えられるようにがんばります。

 明日は北広島市・江別市で、街頭からの訴えを中心にまわります。

 【今日の句】胸の中 「あきらめない」が 響いてる

2018年8月6日月曜日

平和と核廃絶を語り継ごう

 広島への原爆投下から73年--原爆死没者北海道追悼会では被爆者の話も聞き、核兵器廃絶の思いを新たにしました。

 北海道の調べでは道内在住の被爆者は292人。この1年では22人の方が亡くなり、原爆症認定訴訟で先頭に立たれてきた安井晃一さんが先日亡くなったことも報告されました。長年の活動に敬意を表するとともに、安井さんはじめ亡くなられた方々に哀悼の意を表します。

 何度か出席している追悼会ですが今年はマスコミも多いようで、式典に続く二部の交流の集いまで取材していました。安倍政権が核兵器禁止条約に否定的な態度をとるなかで、被爆者の声を聞きたいということなのでしょうか。

 ともあれ式典では、北海道と原水爆禁止北海道協議会の追悼の辞があり、高校生・岸本万尋さんが自分の言葉で「明日への誓い」を話されました。歴史のイチ事実でしかなかった原爆投下が、学びや被爆者の話を聞くなどを通じて「くらしや人生が失われたこと」に気づき、自分自身も語っていくことの大事さを話されていたことが印象的でした。

 私自身も学生時代に広島での原水爆禁止世界大会に参加しましたが、初めに原爆ドームを見ても「これが有名な原爆ドームか」くらいしか感じなかったものの、実際に被爆者の話を聞いてから原爆投下を現実として受け止めるようになったのでした。その思いがよみがえりました。フルート演奏や合唱を、当時を思い出しながら聞いていました。

 二部の交流のつどいでは、宮本すみこさんの体験談から始まりました。一昨年まで、このような追悼会の存在も知らなかったという宮本さん。名古屋での空襲で父親を亡くし、長崎へ疎開したときに原爆投下に直面したそうです。親せき宅へ、さらに避難しようと思い立ったものの被爆地を通らないといけません。その後、母親が熱を出し髪の毛も抜け始め、村の人が病院に送ってくれる様子など、穏やかな語り口ながらも当時のリアルな状況が伝わってきました(なお、お母さんは無事に退院できたそうです)。

 宮本さん以外にも、紹介された被爆者の方々が短時間ずつ当時の様子を語ってくださいました。「友達と遊んでいて、家に戻った瞬間に原爆が落ちた」「産んだ子どもたちに、広島でのことをどうしても話せなかった」「ずっと被ばくのことを語りたくなかったが、東日本大震災で母親たちの心配が自分で同じで、何か伝えられればと語ることにした」など、聞いていて胸がいっぱいになるような話ばかりでした。やっぱり核兵器は無くさなければいけないし、被爆者援護も急がなければいけないと痛感しました。

 安倍首相は広島式典で核兵器禁止条約に触れず、その後の被爆者との懇談の席で条約に賛同しないことを明確に表明したようです。それでいいのでしょうか。どれだけ被爆者の思いを傷つけているのか、安倍首相はわかっているのでしょうか。腹立たしくもあり、情けなくもなってきます。「生きたくても生きられなかった」方々の命の重みを、どれだけ感じているのでしょうか。

 交流のつどいでは私からも党を代表して一言あいさつし、核兵器禁止条約を批准するために政治を変えたいと述べました。安倍政権にその気がないのなら、新しい政権をつくるしかありません。そもそも核兵器禁止条約だって、もっと日本政府がイニシアチブを発揮していれば早く発効できていたのではないのでしょうか。

 順序が逆になりましたが、朝は街頭からの訴えもおこないました。今日の広島、9日の長崎、そして15日の終戦記念日と、戦争と平和について考えあう契機としたい。私自身がそうだったように、現実感を持てない方々も多くいると思うのです。それでも私自身も口を開いて、どのような形でも心に伝わればと願って訴えました。戦争を止めるのも、核兵器をなくすのも人間の力でできることなのですから。

 【今日の句】総理から 命の重み 伝わらぬ

2018年8月5日日曜日

ここは豊かな酪農郷

 「平和の里 文化の森 矢臼別」での平和盆踊りは54回目。上着が必要な冷え込みでしたが、会場の熱気は夜中まで絶えませんでした。

 反戦地主・川瀬氾二さんの遺志を継ぎ、今年もこの季節がやってきた--会場に着くと、いつもそのような気持ちになります。実行委員会が泊まり込みで準備をし、道内はもとより全国から平和を愛する方々が集って半世紀を超えたのです。

 私は釧路教育大大学院の時代に、合唱団アンラコロに所属していました。平和盆踊りではステージ交流の時間があり、アンラコロも有志で参加していたことから私も平和盆踊りに足を運ぶようになりました。当時は川瀬さんもお元気でしたが、あれから20年も経ってしまいました。

 前夜祭から交流が続き、4日がメインの盆踊り。私も連帯のあいさつを述べ、その後はステージで合唱や獅子舞など、まさに「文化の森」にふさわしいプログラム。「花いかだ」の際には私も最後にコール役で出演して、会場が「矢臼別にオスプレイいらない」「「安倍さん変えよう」などの声に包まれました。

 松平晃さんのトランペットに合わせて花火が始まり、その後は参加者みんなで大きな輪になっての盆踊り。アピールのための仮装あり、手作り行灯やうちわもあり、この瞬間こそ「平和の森」を実感です。

 まだまだ終わりません。21時からのステージ第2部も、合唱、スピーチなどなど続くのです。私も昔取った杵柄で合唱団アンラコロに「友情出演」。各テントでも交流が続き、矢臼別の夜は更けていくのでした。

 花火が上がったときに「米兵も見てるかな」との声がありました。今年は県道越え実弾訓練の移転訓練が実施されている時でしたが、3日・4日は実弾演習はおこなわないとのこと。実弾は発射しなくても訓練は可能でしょうが、こういうことは初めてです。兵隊の前に人間として、この地で平和を願って打ち上げた花火を、どう思いながら見たでしょうか。

 町道を通って川瀬牧場に入ります。まわりは演習場です。なぜか竹ぼうきがあるそうです(私は見つけられませんでした)。前の住人の渡辺佐知子さんが、自衛隊によって町道に土がかぶることから「町道をきれいにして」と要請したことから備えられているとのこと。竹ぼうきを置いている演習場なんて、日本で矢臼別くらいでしょうね。

 平和のために積み上げた歴史を止めることなく、さらに前へ。矢臼別平和盆踊りに来ると、その思いを強くします。原爆投下、終戦の日と続く8月は、やっぱり平和についてしっかり自分のなかに位置付けたい。

 【今日の句】搾乳は 平和な郷が あってこそ