2013年8月31日土曜日

レッドパージもブラック企業も、根っこは同じだ

 「レッド・パージ」‥‥「何それ?」という若い人もいるでしょう。パージ(purge)は「一掃する、追放する」という意味です。

 レッドとは「アカ」。

 つまり、共産主義者やそのシンパ(同調者)を指します。

 戦後日本。

 GHQ総司令官マッカーサーの指令により、日本共産党員とシンパが公職追放されたこと。

 それに合わせて、民間企業や報道などでも「赤色分子排除」などと、職を追われたこと。

 いま人権救済申請をしている、札幌市の加藤哲夫さんの場合は--。

 1947年に歌志内市で空知鉱に、鉱外雑役夫として就職。

 空知炭鉱労働組合に加わり、組合活動にも従事しました。

 政治情勢は、1949年の総選挙で日本共産党が4議席から35議席へ大躍進、加藤さんも同年に入党します。

 第3次吉田内閣のもと、政府は「行政整理」「企業整備」の名で大量首切り。

 下山事件・三鷹事件・松川事件など、謀略事件も起こされます。

 そして1950年、マッカーサーによる日本共産党の公職追放。

 北海道でも、北海道新聞・函館新聞、電算、全道庁、富士鉄、王子製紙、日鋼室蘭、全逓、電通、炭鉱などで約1200人が追い出されました。

 加藤さんのもとへ送られた「解雇通告書」には--

 「貴殿は今日以降出勤に及びませんから会社の承認を経ないままで事業所構内及びその他の諸施設に立ち入ることを禁止致します」

 家庭の収入が途絶え、家族も含めた監視、就職妨害や嫌がらせが、待ち受けることとなりました。

 いとこの結婚式で下足番をした加藤さんに「さっさと失せろ」という空知鉱長。

 日雇い仕事に就けたと思ったら、初日に監視員3人が現れて作業現場から追放。

 加藤さんも含めてレッドパージの犠牲者は、4万人以上と推定されています。

 世界でもレッドパージはおこなわれましたが、イタリアでは国が誤りを認めて犠牲者の年金欠如分を補償したり、スペインでは犠牲者・遺族に賠償金を交付しています。

 日弁連だって、レッドパージは憲法やポツダム宣言を踏みにじった人権侵害行為と断じて、犠牲者の名誉回復や補償を含む救済措置を勧告しています。

 それなのに日本政府は、謝罪も名誉回復も救済策もおこなっていません。

 「思想・信条の自由」は、マッカーサーの指令の前には「超法規的」に認められるという最高裁判決をもとにした論調です。

 しかし、その最高裁決定を下した田中耕太郎氏が、みずからアメリカにパージの必要性を説いていたという、法の番人としてありえない行動を取っていたのです(「ホイットニー・田中会談」1950.8.7).

 こうして日本を「反共の砦」にしようとしたアメリカと、高揚していた労働組合運動を抑え込もうとする財界と、本来は法の番人であるはずの裁判所が、連なって弾圧したというのが、日本のレッドパージの歴史です。

 今日は「レッドパージ被害者の名誉回復と補償を求める北海道懇話会」の総会。

 私も役員の1人なのですが、党道委員会を代表して来賓あいさつをし、記念講演として元衆議院議員の松本善明さん(弁護士)と、特別報告として明神勲さん(道教育大名誉教授)の話を伺いました。

 加藤さん含め被害を受けたみなさんも集まり、総会後の懇親会でも、話が弾みました。

 その中で出された話は「レッドパージは今に通じる問題」ということです。

 職場を見れば、思想・信条の自由どころか、労働の権利も人間らしく生きる環境も奪われ、人権などなく首切り・使い捨ての多いこと!

 レッドパージは、当時は多くの若者たちが対象でした。

 そして今、また若者たちが使い捨ての目に遭っています。

 レッドパージもブラック企業も、憲法の精神など守らない点では根っこが同じ。

 レッドパージ犠牲者は、たたかい続けて60年にもなりました。

 それでも当事者と、参加した私たちとで、解決するまで頑張りぬくことを確認しました。

 いくら時間がかかっても、歴史の流れや真理に背くものには、未来がないからです。

 この歴史のバトンを引き継ぎながら、私も頑張ろう!と新たな決意をした総会でした。

 【今日の句】 差別とは 支配者たちが 作るもの

2013年8月30日金曜日

政治は、避難者のリアルな現実を受け止めて

 森つねと道国政相談室長と、昼はTPP交渉ストップの宣伝、夜は福島などから避難している方々との交流などへ足を運びました。

 夜は家庭の事情もあり、子ども2人を連れて参加しました。

 先日、福島・神山県議が来道した際の懇談で足を運んだ、厚別区・雇用促進住宅での交流会(その名は「スナック桜台」!)です。

 身寄りもなく避難をし、母子避難も多いことから交流の場を、と作られたこの機会。

 男性は外で飲んで発散できても、子育て中の女性は、そういう機会を持てません。

 そうでなくても様々な思いを持って避難をした身として「楽しむ」ことさえ、罪悪感も抱える毎日だとも聞きます。

 大人が交流する間は、大学生のボランティアが子どもたちと遊んでいます。

 私も子どもを学生さんに任せて‥‥と思っていたら、下の子が恥ずかしがって私から離れませんでした。

 お母さん同士は話が弾み、支援団体・支援者の方も交じって(中には帯広市からも!)の話は、もちろん避難の話もありますが、日常会話や子どもの話題も多く。

 こういうホッと一息つける場が、とても大事なんだと実感しました。

 避難に伴い、緊張・迷い・分断など、いろんな感情の波に襲われる日々だと思います。

 本当なら政治の力で、どんな選択でも生活を保障するとなっていれば、気持ちも少しは和らぐのではないでしょうか。

 先日、子ども・被災者支援法の「適用範囲」の案が政府から示されました。

 その基準はハッキリ示されていないし、何より避難者の現実を聞くという手順も踏まえていません。

 そういう現状でもあり、この交流会にもお邪魔させていただき、もっとリアルな実態を届けなければいけないなと思ったんです。

 残念ながら次回は参加できない日程なのですが、定期的にお邪魔させてもらえれば‥‥。

 あらためて安倍政権の向いている方向が、まったく違う!と感じた1日でした。

 【今日の句】 笑う子と なごむ大人の 日常を

2013年8月29日木曜日

檜山地方の豪雨被害調査を終えて

 厚沢部町・乙部町での豪雨被害調査を終え、その足で、せたな町議補選(9月8日投票)に立候補予定の江上恭司さんの応援へ。久しぶりの、いい天気でした。

 やっと10日ぶりに開通した道道67号線を通ったのですが、写真のように土砂崩れや道路陥没が至るところに。

 厚沢部町の町場に入ってくると、そばを流れる安野呂川流域に、たくさんの流木が見えます。

 加藤古志男町議と、まずは町役場で概況を伺いました。

 農作物・農道や農業施設の被害報告が今も続いていること、函館に通じる国道227号線が止まれば救急搬送ができなくなること、氾濫する安野呂川の河川対策が急がれることなど、要望なども合わせて伺いました。

 すごいなと思ったのは、農家が畑作物共済に加入しやすくするよう、町が3割分を負担しているそうです。

 さらに、秋の収穫が目前であり、急がれる農道などの改修へ、町が2分の1を補助することも決めたとのこと。

 過去に何度も水害に遭った厚沢部町なので、激甚災害を受けた過去の資料も出していただき、歴史的な経過も含めて、要望の主旨を承りました。

 実際に被害を受けた農家の方の案内で、見せてもらった水田は泥がたまり、稲も倒伏していました。

 写真のように、奥で稲が立っているのと比べて見ると、一目瞭然です。

 泥がたまればコンバインも入れないし、倒伏した稲も、1週間で立ち直ってきたものもありますが川沿いの水田は全滅です。

 「共済も、部分的被害では出してくれない」と、現制度の改善すべき点も伺いました。

 もうすぐ収穫の時期を迎えることを、楽しみにしていたと思うんですよね。

 「自然災害には勝てないよ」と話されてましたが、だからこそ、せめて共済制度の充実は進めなければと思いました。

 乙部町で安岡美穂町議と合流し、まず町役場で概況を伺いました。

 大事な観光資源である縁桂(えんかつら)の周辺が崩れていること、破裂した水道管を仮復旧して国に災害申請を出すことなどに加え、災害時の国・道・市町村の連携について意見を聞きました。

 乙部町では、豪雨時に国道・道道にも町職員を派遣して、状況把握などを進めたそうです。

 今冬にオホーツクで起きた吹雪も思い出しましたが、いち早く現場で判断が必要とされるなかで、どのように現場掌握と現場対応ができるかは、大きな課題だと思います。

 被害を受けた畑を視察しましたが、写真のようにユリ根が土中から顔を出しています。

 ここも川の氾濫で倒伏したためです。

 本当なら、土の中で真っ白に育っていくものですが、こう色づいたら商品にもなりません。

 栄浜地域に行くと、根こそぎえぐられ、川上から流されてきた大木が海から引き上げられていました。

 来月すぐにサケの定置網漁が始まるのですが、大木が漂流していて漁にならないと、漁協などで引き上げていたのです。

 それでも消波ブロックには、まだ大木が残っています。

 事務所を通じて国会で調べてもらい、漂流物を処理するための補助事業が今年度から始まっていることがわかりました。

 安岡町議を通じて、町役場にも伝えることになりました。

 少しでも良い方向に進めば‥‥と思いましたが、このように国会議員・道議会議員とも連携して、少しでも苦難が軽減されるようにするのが私の役割。

 いち地域への支援策は、ひいては全国的な制度の充実へと、つながる面もあります。

 さっそく報告もまとめて、現地の力になれればと思っています。

 【今日の句】 もうやめて 前線・台風 大増税

2013年8月27日火曜日

原発事故は誰もが当事者--命とくらしの「分断」するな

 札幌でも大雨(今も雷)! 原発についての学習講師を終えた後、原発事故避難者の方からお話を伺いに車を走らせました。

 福島県から神山悦子県議(日本共産党)が来道されていて、この機会がセットされたのです。

 神山県議から、原発事故も次から次へと新たな事態が生まれるので、そちらへの対応もしなければならず、県外への避難者支援は意識的に進めないといけない、との話がありました。

 福島県内に10万人弱、県外には5万人以上が避難をしています。

 東電は賠償へ誠実な態度を見せず、避難者にとっては経済的にも精神的にも、大きな負担になっています。

 「でも、もう事故も終わってるんでしょ?」

 このような声に出合ってガックリする、とのお話もありました。

 今日の会には宮城県から避難された方もいたのですが、福島県だけの問題でなく、日本全国にかかわる重大問題なんですよね。

 福島に残る人も、避難した人も、自分の判断に確信を持てない日々が続いています。

 確信を持てて相手に話したとしても、軋轢や誤解を生んだり、人間関係が壊れてきた話は過去にも伺いました。

 昨年、いわき市を訪れ、その「分断」ぶりを聞いた時に悲しくなりました。

 原発事故さえなければ。

 多くの方から聞いた言葉でした。

 そうは言っても時計の針は戻せず、今はすべての避難者に最低限度の生活を国が保障するべき時だと思います。

 住民票がどこにあるか、借り上げ住宅の期限、全国的な医療支援など、お話を聞いて多くの課題があることを再認識しました。

 何より、政治の根本的な姿勢が問われていると思いました。

 すべての被災者・避難者の、生活を保障する。

 避難する権利を認めて、どの町にいても安心して暮らせる環境をつくる。

 そのために地方自治体での、体制上も制度面も整備する。

 まずは「子ども・被災者支援法」の具体化を急ぐ!

 「○○さんは賠償金をたくさんもらえた」「避難できる人はいいよね」「同じ避難者でも、まったく負担増が違う」‥‥もう、このような「分断」「線引き」をやめたい。

 自分の未来を心配する子どもたちを、きちんと支える政治でなければ。

 なんでこんなに、避難者の声を聞かない政治なんでしょう。

 消費税を上げるとか、TPP参加とか、それよりも優先してやるべきことがあるでしょう。

 私よりも当事者のみなさんの方が、何倍も悔しい思いをしてきたはず。

 そう、原発事故は日本全体の問題である以上、私だって、あなただって当事者のはず。

 私は明日、道南地方へ豪雨被害の調査に走ります。

 私は私の持ち場で、せいいっぱいの役割を発揮していく。

 多くの人が、少しずつでも当事者として行動すれば、必ず事態は動くのだから!

 【今日の句】 見えません 総理が避難者 守る意思

2013年8月26日月曜日

激しいやりとりになった政府交渉

 紙智子・大門実紀史の両参議院議員が窓口になり、政府交渉をおこなってきました。交渉団は、真下紀子道議、森つねと国政相談室長と私です。

 要請は、北海道にかかわる重要課題について大きく5課題。

 すべてを書ききれないのですが、端的に回答や私の感想などを書きます。

 ①厚労省へ、最低賃金と生活保護について。

 全国で北海道だけが、生活保護費との「逆転」が解消されないことで、中小企業などへの支援も含めた対策を求めました。

 安倍政権としての経済対策上も賃金の引き上げは重要課題であり、来年度予算に、指摘に応えた拡充の策を検討しているとの回答でした。

 生活扶助の削減は「日常用品を総合的に勘案して」おこなったものだと従来の回答で、灯油代の値上がりなどで苦しむ生活実態を見るべきだと、私たちから繰り返し訴えました。

 ②国交省へ、JR北海道の問題。

 先日、八雲町で起きた土砂流出については「しっかり対応する」との回答にとどめましたが、私から国のイニシアチブを強調し、基本的には受け止めてもらえたと思います。

 問題は、この間の重大事故に対する国の姿勢に関する回答で、「安全対策には時間がかかる」と、JR北海道の代理人化のように受け止められる回答でした。

 これには参加者一同で、激しく抗議。

 2年前には石勝線での重大火災が起き、たまたま人的被害が出なかっただけで、深刻な事故は続いているではないのか、と。

 国の責任に明確に触れない姿勢に収まらない私たちに、国会連絡調整官の方が「鉄道局にしっかり私から述べる」と、その場を引き取りました。

 ③防衛省へ、矢臼別演習場における米軍の場外着弾。

 北海道と地元4町が場外着弾を受けて検討しようとした矢先に、米軍は傍若無人に訓練を再開した問題でした。

 防衛省が謝罪したと言いますが、では米軍はどうだったのか。 

 道防衛局でも確認しましたが、本省でも米側から事故報告を書面で受け取ってはいないと回答しました。

 目と鼻の先に町道がある地点へ着弾した大問題なのに、事故原因と再発防止策を口頭で聞いて、防衛省が文書にして地元に説明した、という経過です。

 そんなことは米側に求めればいいのに、そのような考えは防衛省にありません。

 アメリカに、事故報告の書類さえも言えないなんて‥‥。

 ④内閣府へ、TPP交渉の秘密保持問題。

 やっぱり回答の結論は「TPP交渉は秘密」ということに終始。

 それでも「工夫して情報公開に努めたい」と回答したので、どのようにと聞きただしましたが「それが難しい」と、何だかなぁと思わずため息。 

 結論が国会批准前には出されるので、国会の権限は残るとの回答でしたが、経過もわからず結論だけ押し付けられるのはダメだと訴えました。

 ⑤経産省・文科省・原子力規制庁へ、原発関連の問題で。

 再稼働については、規制基準クリアーに加え地元同意が必要だからと、何かハードルが高いかのような回答でしたが、国のエネルギー対策に原発が位置づいているのですから、大元からの議論が必要です。

 新規制基準に地下水・汚染水対策がないことは規制庁も認めましたが、現状は追加を考えていないとのこと。

 幌延の深地層研究センターの埋設研究については、閣議決定にもとづくものとの回答を貫きました。

 原発関連は、高まる国民世論に若干でも応えるかのような姿勢を示していますが、自民・公明の政治姿勢かた正さなければいけないことを、あらためて痛感しました。

 民主党政権から代わって初めての本格的な政府交渉でしたが、真っ向から意見がぶつかりあう場面が多くありました。

 米軍問題でもTPPでもアメリカにはモノを言えないという、日本の主権はどこにあるの?という状況でした。

 JR問題を通して、国が国民の生活と安全に責任を負っているのか、と疑問を強くするような姿勢も見られました。

 どの問題でも、これは国会で共産党ががんばらないと本当にダメだな、と痛感です。

 そして、安倍政権の暴走を許さない世論を広げないといけないな、とも実感しました。

 今回の政府交渉は、あまりにも道民世論と反する動きに、緊急に組んだものでした。

 そう何度も、直接に交渉できるものではありません。

 このリアルな結果を、いろんな形でお知らせして、まずは世論を広げることにがんばらなければ! 

 【今日の句】 東京の 暑さ以上の 熱き声

2013年8月25日日曜日

娘の誕生日を祝いました

 先ほど札幌でも、いきなり激しい雨! 降ったり止んだりですが、何だか落ち着かなくなりますね。各地で被害を受けた方々が、心配になります。

 今日は夜に時間を取って、娘の誕生日を祝いました。

 私が誕生日バージョンの「お子様ランチ」をつくりました。

 写真を撮って見せられるものではないですが‥‥喜んで食べてくれるだけでも嬉しい。

 あっという間の8年間は、私が候補活動を始めた時期とピッタリ重なります。

 生まれた2005年、その12月に07年参院選の選挙区予定候補として発表されました。

 広い北海道を回るわけですから、小さい我が子に会えない日も多いし、だいぶ妻にも負担をかけました(今もそうですが)。

 他の候補・議員さんはどうなのかわかりませんが、自分は子育ても十分に関われていないのに子育て政策などを語るのは、正直に言って少なからぬ負い目が初めはありました。

 それでも自分なりにがんばって、今日で8年。

 まだ政治の世界でも、親としても未熟な私なのでしょうが、それならそれで等身大の、身近な子育て世代の声を、きちんと届けていきたい。

 明日は東京へ行き、政府交渉をおこないます!

 【今日の句】 わが父母も 何を私に 願ったか