2019年8月9日金曜日

核兵器は絶対悪と

 今日は長崎への原爆投下の日。道原水協などによる昼の署名行動では募金も寄せられるなど、多くの反響がありました。

 核兵器をなくしてほしいというのは、多くの国民が共有する願いではないでしょうか。それなのに今日も安倍首相は、核兵器禁止条約について触れませんでした。長崎市・田上市長もハッキリと批准を求めているのに!

 被爆者のサーロー節子さんは、かつて「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」と述べていました。体験した言葉を聞けば「核の傘が必要」とは言えないはず。生物兵器や化学兵器も禁止することができたのだから、核兵器だってできないはずはない。

 夜は道庁前の反原発抗議行動に参加しました。「原爆も原発もいらない」というスピーチがありました。一方で今も被爆の後遺症に苦しむ方がいれば、一方では過酷事故を起こして故郷に帰れない方がいる国、この日本。他人事ではなく、自分の問題として受け止めたい。

 明日は別海町・川瀬牧場での矢臼別平和盆おどりへ。今から楽しみにしています。

 【今日の句】今日だけにとどめず なくせ核兵器

2019年8月8日木曜日

意思の力で、政治を変える

 今日は札幌でも、翁長雄志・前沖縄知事が亡くなっての一周忌アクションが行われました。いっしょに私も進んでいきたい。

 雨の中心街に、次々と傘を指しながら集まる方々。静かに、しかし決意を込めた表情で思い思いのカードなどを持つ姿を見て、私も背筋が伸びました。沖縄の問題ではなく、私たちの問題、日本全体の問題なんだから。

 数分しかいられず申し訳ないのに、せっかくだから話してと促されてマイクも握りました。なぜ雨のなか私たちが立っているのか、町行く方へ伝わればと思いで話をしました。誰か一人でもいいから、後で自分で辺野古のことを調べてくれたのなら本当にありがたい。

 私たちより絶望的な状況に直面しても、沖縄のみなさんは諦めなかった。それを思えば、ここで歩みを止めてはならないんです。まず一人、もう一人と広げていかなくちゃ。進んでいかなくちゃ。

 今日は日本共産党の創立97周年記念講演もおこなわれました。紙智子議員はじめ当選した議員のあいさつの後に、志位委員長がたっぷりと「共闘の4年間と野党連合政権への道」について講演しました(党ホームページから見られるようになります)。

 志位委員長が、共闘の「2つの源流」として触れた1つがオール沖縄のたたかいであり、翁長さんの遺志を継いでいくことを志位委員長も表明しました。翁長さんとの会話のエピソードも紹介していて、聞きながら胸に沁みました。まさに命がけのたたかいだったことを、震える思いで聞きました。

 もう1つが、反原発や安保法制=戦争法反対などの市民運動。市民の声に日本共産党も背中を押されて、ぶれずに野党共闘へ力を込めるようになりました。この流れを止めてはいけない!と心から思いました。

 志位さんの講演は、今の安倍政治を変えたいと願っているすべての方に聞いていただきたいです。そして新しい政権に向けた率直な意見交換を、どんどん進めたい。レールは敷かれてきているんです。やるかどうか、です。

 明日からも、さらに力を込めてがんばっていきたい。

 【今日の句】負けないよ 雨にも安倍にも 負けないよ

2019年8月7日水曜日

この問題こそ掘り下げた報道を

 ホルムズ海峡への「有志連合」構想にかかわり米国からの自衛隊派遣要請を、岩屋防衛相は「総合的に判断」と否定しませんでした。重大です。

 日本共産党の見解はこちらをご覧ください。もともと今回の危機は米国が核合意から離脱したことで引き起こされたわけで、道理が成り立ちません。イランへ自制を求めるとともに、米国に核合意へ戻ることこそ求める必要があります。

 ドイツは艦船の派遣に参加しないことを明言しています。マース外相は「軍事的解決はない」と、外交的解決をめざす姿勢です。フランスのルドリアン外相も「(湾岸での具体的態勢について)協議は早計だ」と慎重姿勢です。

 イランと日本は友好関係にあります。それならば、その関係に依拠した外交こそ力を尽くしてはどうなのか。米国追随によって、失われるもののほうが大きいのではないか。なし崩しに自衛隊の海外展開が進むことで、日米の軍事一体化が強化されることになりはしないのか。

 これらの疑問に、まったく政府は応えていません。国会での審議の場もないからです。報道も、いち国会議員の結婚を大々的に報じることよりも、情勢を掘り下げて報じることを願うばかりです。

 【今日の句】外交の議論が なぜに出てこない

2019年8月6日火曜日

核兵器禁止条約の批准を早く

 あの日は、もっと暑かったはず--と参加した誰もが思っただろう宣伝行動。「核兵器なくそう」の呼びかけに、多くの方が署名されていました。写真は宣伝後の1枚です。

 今日は広島への原爆投下の日。報じられているように、今年も安倍首相は核兵器禁止条約には触れませんでした。憲法9条を変えることにも執念を持ち続けています。多くの犠牲を出した侵略戦争への反省や、歴史認識もあらためて問われなければならないと思います。

 原水爆禁止世界大会も始まりました。私が初めて広島へ行ったのが1990年。党道委員会に勤めてから長崎にも行きましたが、ここ10数年は行けてないなあ。北海道からの代表団は若い人の参加も多いようで、ぜひ多くのことを学んで戻ってきてほしいです。

 私が初めて参加して驚いたのは、同年代の学生・高校生が確信をもって平和運動をおこなっていたこと。街頭で署名を集め、展示や学習会などもおこなうなど、当時の私にとっては軽い気持ちで参加した自分が恥ずかしくなるような、それはそれは驚きだったのでした。

 でも、そういう次世代の青年たちが学び、歴史をつないできたのが日本の平和運動であり、核兵器廃絶の運動です。その粘り強さとヒバクシャとの連帯があったからこそ、国際社会も動かして核兵器禁止条約に実を結んだわけでした。国際的に見れば、核保有の論理を正当化する国のほうが少数です。

 唯一の戦争被爆国の日本こそ、早く核兵器禁止条約の批准を!

 【今日の句】核兵器 なくせの声は この先も

2019年8月5日月曜日

子どもたちの笑顔に希望

 明日で胆振東部地震から11ヵ月。今月も厚真町・安平町・むかわ町へ足を運びました。

 心配のひとつは応急仮設住宅の暑さ対策でした。厚真町ではエアコンが付けられ、他の町でも談話室に設置されて暑さを逃れられるようにはなっています。風通しをよくするため、窓だけに付いていた網戸は、玄関の風除室にも付けられるようになってきています。

 「それでも夜は、やっぱり暑かったです」との声も聞きました。厳寒の冬を乗りきるための気密性を高めた造りであることも反映しているかもしれません。今後のことも含めて教訓です。

 仮設住宅では、国にかかわる話も聞きました。今年になって夫を亡くされた女性は「また年金から引かれていく。弱い者いじめのようなことはやめてほしい」。むかわ町で街頭から訴えたときにも、年金のことでピクッと体を動かす方がいたり、最後まで話を聞いてくださった方もいました。選挙中も「消費税を上げないで」という訴えがありました。負担ばかり押しつけて安倍首相は心が痛まないのかと、くりかえし怒りも湧いてきます。

 宮坂尚市朗・厚真町長、竹中喜之・むかわ町長から、町の取り組みについての話もうかがいました。つくられた復興計画を飾りにしないで魂を入れていくとの話が共通してされて、私からも国会と連携して反映させていくことも述べました。くりかえし足も運んだこともあり、他の話題でも和やかに懇談させてもらったことは本当に嬉しい限りです。

 むかわ町では、なかなか行けなかった穂別地区にも足を運びました。工事による通行止めなどが途中にあり先方には迷惑をかけましたが、社会福祉法人・愛誠園で日ごろからの備えについての課題をうかがいました。

 安平町では健康福祉課の職員からも聞き取り。家やくらしの再建に向けた個人面談・個別訪問を進めることにしているのですが、いろんな苦労が予想されます。他の自治体から職員の応援もありますが、引き続き体制強化は課題だと痛感です。

 ホッとしたのは、厚真町の仮設住宅談話室。夏休みの子どもたちが楽しそうに遊んでいます。その笑顔を前に、住人の方にも私たちにも笑顔が広がりました。夜にはボランティアでの学習支援もされると聞きました。子どもの笑顔を見るだけで、気持ちが明るくもなるのですから不思議ですよね。

 少しでも前へ進めるように、多くの結びつきができています。その輪の中で、少しでも私も力になれればとの思いで訪問を続けてきました。引き続き国や道へ現状を反映させることに、揺るがず取り組んでいきたいです。

 【今日の句】少しでも 力なれれば その一心

2019年8月4日日曜日

どなたも無事であるように

 宮城・福島を中心に大きめの地震がありました。石巻市の両親の家は倒れたものなどなかったようですが、やっぱり心配になります。

 日本は地震大国なんだと、あらためて感じます。東日本大震災、熊本地震、胆振東部地震と、まだ仮設住宅で暮らしている方が多くいます。復興・再建には、やっぱり政治・行政の力が必要です。このような現実があるんだと、あらためて心に刻まれます。

 私が石巻市に住んでいたときにも、宮城県沖地震(1978年)を経験しました。小学1年生で受けた衝撃は、今も記憶に鮮明です。崩れたブロック塀の下敷きになるなどで、28人の方が亡くなりました。わが家は一晩の停電程度で済んだものの、こういう地震は勘弁してほしいと子ども心に思ったものです。

 東日本大震災で受けたショックが、こういう地震を契機にフラッシュバックすることもあると聞きます。せめて多くの方が痛みを分かち合い、心をひとつにしていることが伝わってもらえればと思います。決して一人じゃない。

 明日は安平町・むかわ町・厚真町をまわる予定でいます。胆振東部地震からも11ヵ月。できることは僅かかもしれませんが、何かの役に立てることがあればと思いながら、今月も足を運びます。

 【今日の句】この国は 地震大国 あらためて