2011年5月16日月曜日

両親から石巻市の現状を聞いた

 昨日から、石巻市に住む私の両親が札幌に来ました。

 震災の影響で、少し長めの休暇となったこともあってのこと。

 お見舞いをいただいた方にも、お礼を兼ねて私も回ってきました。

 震災の状況を聞くたび、こうやって会えること自体、ありがたいことと思いました。

 父や母の話によれば、ですが--

 旧石巻市(合併したのです)の2/3は、浸水したようだ。

 地盤が70cmも下がったので、満潮のときに各地が水没する。

 義捐金が渡されるのが、とにかく遅い。

 罹災証明を受けるのに、役所でも「印鑑」「保険証か免許証」を求められる(流されて、ないのに!)。

 家の上にバス、船。

 瓦礫を取り除けたのは、道路くらい。

 物資は足りてきてるが、避難所の食事はパン、おにぎりばかり。

 ボランティアも減っていて、野菜や温かい食事が取れていない。

 市有地も多くが浸水したため、仮設住宅を建てる場所がない。

 学校が避難所になっている(そもそも、学校も被災して使えない)ため、子どもたちが廊下や床で勉強している。

 田んぼに、海水・ヘドロ。今年は作付けは無理かも。

 漁船がない。買えない。借金漬けになる。

 養殖は結果が出るのは2、3年後。それまでの生活どうする。

 宮城県の知事が「漁業権を企業に」と言っているが、漁師は怒っている。

 --断片的に書きましたが、どれもが大変な事態ということがよくわかりました。

 両親の家や周辺は河川に近いところですが、土地の高低のせいか津波の通り道にならず、ひざ下くらいまでで奇跡的に家には被害がありませんでした。

 それでもガスの復旧が数日後、電気は1週間後、水道は1ヵ月後の復旧でした。

 当時は市内にいても家に帰れず、ある方は4日ぶりに、残っていた線路を歩き渡ってきたそうです。

 私の上の妹とも、私は当日に連絡が取れていたのですが、両親とは携帯などがつながらず、数kmも離れていない場所なのに無事を確認できたのは4日後でした。

 「すべて流された地域からすれば、私らは天国に住んでいるようなもの」と、両親は言います。

 こうやって無事に再会できるのですから、個人的には嬉しいことは違いありません。

 一方で、今も苦しむ人が多くいることに、何か後ろめたい気持ちが残ります。

 本当の意味での「再建」は、とてつもなく長い時間がかかることが、両親の話からもよくわかりました。

 事情があって足を運べませんでしたが、必ず現地に行って何かの力になりたい。

 北海道にも、津波の被害を受けた地域もあって、支援が必要です。

 少しですが親孝行をして苦労をねぎらい、私も決意新たにがんばろうと思います。

 【今日の句】 希望の灯 見える時まで 全力で

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