2015年5月10日日曜日

母の日に一筆

 石狩市議選挙の応援に行き、後半国会に備えて上京しました。とはいえ今日は母の日。「しんぶん赤旗」では同僚議員7人の手記がありますが、私はブログ上で‥‥。

 私にとって母は「働き者」というイメージしかありません。

 食堂を営んでいた両親は、夜11~12時まで翌日の仕込みをして、それから就寝になります。

 朝食をつくるのは母の仕事で、父は、私が学校に行く時間にもグーグー寝ていました。

 小学2年生のとき、何を思ったのか、そんな父を批判する作文をいきなり私は書いたのです。

 同じ夜遅くまで働いているのに、なぜ母さんだけ早く起きてご飯支度をしなければいけないのか、という内容でした。

 ちなみに私は、そんなことを書いた記憶はまったくありません。

 学校では先生から「そんな作文を書くんじゃない」と怒られたそうです。

 しかし後日、その先生が両親に作文のことを話して、「このまま育ててあげてください」と言ったとのこと。

 その先生も(確か)50代の女性の先生でした。

 そんな作文を書くほど、私にとって母は身を粉にして働くイメージだったのです。

 小学3年生の時に、学芸会で桃太郎を演じることになりました。

 衣装は家で用意することになっていたのに、前日まで何も用意できていません。

 心配する私に母は「大丈夫だから」と言いました。

 次の日、目が覚めると立派な桃太郎の衣装に「日本一」の旗までできていました。

 母はすごい、と心から思いました。

 いろいろと思い出はあるし、苦労をかけたことも山ほどありますが、いつも思い出すのは桃太郎なのです。

 そんな母も、私の専従と候補・議員という歩みを見て、東日本大震災も経験し、もう仕事も終えて、今は婆ちゃんとして妹夫婦の子ども(孫)の面倒を見ている毎日のようです。

 まだまだ老ける年でもないし、いっしょうけんめい仕事や子育てに頑張った分だけ、これからの人生を自分の思い通りに過ごしてほしい。

 何とか母の日のうちに、感謝を込めて書き終えることができました‥‥。

 【今日の句】 送るのは カーネーションより 気持ちかな

2 件のコメント:

  1. すごいお母さんですね。当方なんて50年も前に亡くなっているんで、知らなかったんですが。
    ⒑数年前でしたが、父の通夜をしていた時に、その葬祭会館ではたらいていた婦人が、
    「あなたたちのお母さんに教わったんですよ」と、まったく知らなかった話が飛び出してきました。
    この4月に町の教育委員会で調べてもらったら、
    昭和14年4月から昭和21年10月31日まで小学校の「訓導」をしていたそうです。
    なんと歴史に出てくる教科書を墨で消すシーンは、20歳前後の母たちの世界だったわけでした。
    ご健在ということは、当たり前のことですが、貴重だと思います。
    直に、こちらがその気になれば、戦前戦後の生きた体験も、その青春ドラマも聞くことが出来るんですから。なくしてしまうと、自分のルーツも分からなくなりますから。一度は、人間しっかり調べるべきだと思いますね。当方は遅すぎたのですが。hanatachibana

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  2.  hanatachibana さん、返信が遅くなり申し訳ありません!

     当たり前のことですが、父母にも歴史あり、なんですよね。
     仰られるように、それは自分の人生のバックボーンにもなっているわけで。
     じゅうぶん親孝行できているとは自分で思っていませんし、まだ聞かなければいけない
     こともたくさんあるように思います。
     まだ小さい私の子どもたちにも、親として何を伝えたらいいか、思わず考えます。
     ともかく子どもには恥ずかしくない人生を歩めるように、自分も堂々と生きなければ。

     返信にもなっていない返信ですが、また気軽にコメントお寄せくださいね。

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