2019年3月5日火曜日

前へ、の思い

 白老町で宮本岳志議員らと別れて、むかわ・厚真・安平の各町へ。明日で胆振東部地震から半年、あらためて実態などをうかがいました。

 時間の都合もあり、今日は車中でパンを食べながら3町の移動。半年前も、おにぎり1つを口にしながらまわったことを思い出しました。地震の被害とともにブラックアウトという事態に、何とも言えない不安を誰もが感じていたんですよね。

 むかわ町では、仮設店舗での営業を控えた読売センター鵡川・工藤弘所長さんの案内で店舗室内を視察させていただきました。1日にカギが渡されて、これから備品や設備などの設置になるとのこと。工藤さんは新聞販売店とともにタイ焼き屋さんを営み、さらに「むかわ町恐竜ワールドセンター」の会長もされているので、店舗内を3つに分ける予定でいます。

 「タイ焼き機にはシシャモ型も準備して、4月のオープンをめざしています」と工藤さん。国の補助事業も使いますが、準備費の持ち出しは避けられません。仮設店舗3年間のうちに、今後のことも含めて考えていくといいます。「私だけでなく多くの商店では高齢化している。若い人たちに期待しているんだよ」と、町づくりへの希望を語られました。むかわ町では北村修・舞良喜久の両町議が同行して、いっしょに話をうかがいました。

 町役場では竹中喜之町長が、ちょうど来年度予算について記者会見を終えた後で、懇談のために昼休みの時間を割いてくださいました。「3町で道への要請書を提出しましたが、内容は国への要望も含まれています」と、町内の地図を広げながら堰を切ったように説明をしてくださいました。特に重点的に話されたのが、①財政支援、②復興基金、③人的支援で、復興基金は町単独でもスタートさせるとのこと。「まさに復興はこれからです」と竹中町長は強調しました。

 地図には国道沿い約1kmにわたる商店街の、被災状況が記されていました。今日まわって更地になっていた場所も、半年前には商店が並んでいました。被災した当時の写真を見ながら半年前を思い出しつつ、ご要望については「しっかり国にも反映できるように、私も力を尽くします」と述べました。JR日高本線について、町として通学代を補助することも話題になり「JRを使って通学するほうが高校生にとって利便性がよいこともわかり、補助を決めました」と、実施の経過もうかがえました。

 厚真町では、土砂崩れのあった吉野地区で、あらためて哀悼の意を表しました。まだ土砂によって押し流された住宅もそのままに、当時のすさまじい勢いが思い起こされます。自分の山が崩れたものの命は助かった農家の佐藤泰夫さんが住む仮設住宅へ、伊藤ふじお町議と訪れました。佐藤さんは日本酒「美苫」の酒米生産農家でもあります。

 話題は山の復旧についてとなりました。土砂崩れが起きたことで道が土砂災害危険区域に指定したのですが、山の上部には浄水場施設があったのです。そのやりとりについて佐藤さんから教えていただき、今年の作付についても「育苗ハウスや農機具が被災したため、業者や農協にもお願いをしながら見通しを立てているところです」とお聞きしました。生産したとしても乾燥施設などがなければダメで、それも借りるめどが立ってきたことで今年の作付けの時期を迎えられるようになったのです。

 あらためて以前の状況に戻るのには、相当の時間がかかるものと痛感しました。しかし佐藤さんからは「他の農家と協力して『美苫』の米をつくってきたんだよ」と、笑顔でこれまでの努力を話されながら前を向いていらっしゃいます。私の方が励まされた思いでした。

 励まされた、という点では安平町でもそうでした。三浦恵美子町議と、福祉仮設住宅で特別養護老人ホーム「追分陽光苑」を運営している社会福祉法人・追分あけぼの会を訪れたのですが、急な訪問にもかかわらず実態や要望をお聞きする時間を割いてくださいました。福祉仮設住宅に移ってからは1ヵ月以上となり利用者も職員も慣れてきたものの、スタートして気づいたことなどもあると言います。

 3棟に分かれた構造ですが、端と端に職員がいた時に業務用PHSが通じにくくなるといいます。真ん中の棟に中継機をつければ解消できるのですが、費用との関係で設置できていません。2人体制の夜勤のときに、お互いが分かれた状況で連絡が必要な事態が起きたことへの心配があります。

 また3棟の真ん中をつなぎ合う廊下がないために、隣の棟へ行くにはぐるっとまわる形で行かなければなりません。「新しい状況のもとでの避難の体制も検討しています」とのことでした。利用者さんと心を通わせている毎日のご苦労も聞き、少しでも苦労が解決できるようにしなければと思いました。

 早来小学校にも足を運び、6年生が進めている「8000人の笑顔プロジェクト」について担任の冨樫忠浩先生からお話をうかがいました。1人の子どもの発案に、クラスの子どもたちで計画・実行が始まり、ボランティアの大人などもかかわるなかで6000人を超える笑顔のメッセージが寄せられてきています。「札幌ドームであいさつさせてもらった時も、子どもたちだけであいさつ文を考えていました」とは冨樫先生。

 8000人というのは安平町民の数にもあたるのですが「数も大事ですが、それ以上に子どもたちが総合的に計画したり行動したりすることが大事だと思ってきました」と冨樫先生の話を聞いていたら、子どもたちの生き生きとした様子が目に浮かびました。海外からのメッセージや著名人などのメッセージもうれしいものですが、送られてきた文章のなかに「久しぶりに家族の全員写真を撮れました」というものがあって、笑顔の写真を撮りあうことが結びつきを強めあっているんだと実感できたのがうれしい、との話には私も感激しました。

 地震から半年が経ち、家や店を失い、家族を亡くした方にとっては痛みは今も続いています。今日も、ご病気により急逝した方のお悔やみにも足を運びました。同時に、前を向いて乗り越えようという歩みも進んできています。多くの方が少しでも安心できる毎日となれるよう力を尽くさねばと、現地に来てあらためて痛感しました。引き続き私も力を尽くしたい。

 【今日の句】一歩でも 支え合えれば 大丈夫

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