2010年12月9日木曜日

国鉄闘争23年の重み

 文書やビラ作成などの実務を終えて、国鉄闘争23年「感謝の夕べ」(道国鉄共闘会議・道労連・札幌地区労連・建交労・全動労争議団)に足を運びました。

 1987年4月、国鉄「分割民営化」の際に引き起こされた「JR採用差別事件」。

 雇用の実現は課題として残っていますが、金銭上の和解が成立し、区切りとなる「夕べ」でした。

 国鉄フェスタや「夕べ」、一の日行動などの時に、連帯のあいさつをしてきた私ですが、実はあいさつの後に、いつも罪悪感に駆られるのでした。

 争議団や家族の苦しみを、私はどれだけ知っているのだろうか。

 こんな若い私が、党を代表して連帯のあいさつだなんて、おこがましい気がする。

 しかし、私以上に苦しみ、悔しい思いをし、それでも励ましあって、たたかってきたのが争議団と家族のみなさん。

 そう何度も何度も思い直し、私は私なりの言葉を探して、心一つにしてきたつもりでした。

 第一部の合唱構成詩、第二部の解決祝賀会。

 あらためて、この23年の重みを知りました。

 私に何ができたのだろうか、と会場で自問自答しました。

 もちろん雇用の確保という課題は残っているし、その解決まで争議団も存続していきます。

 そして、今の日本では非正規労働が広がり、クビを切られた労働者は「ダメ人間」と思わされ、家族も親族もつらい思いをする社会となってきました。

 全労連が、この国鉄闘争を「労働運動再生の環」と位置づけたのが1990年。

 その「環」が一定の解決を迎えた今、本格的な労働運動再生も求められています。

 そして政治的にも、大企業優遇の税制・労働法制の見直しが緊急の課題です。

 もう二度と、こんなことは起こさない。

 そして、今ある労働者への無法な権利侵害を許さない。

 そのために、お互いを責め合う関係ではなく、結ばれた、励ましあう関係へ。

 歴史の歯車を動かす重みと、同時に勇気を、争議団と家族の方から受けたように思います。

 頑張らねば。

 【今日の句】 積み上げた 歴史の光 未来にも

2 件のコメント:

  1. こんにちは(^0^)/ 
    日々の闘い、真にお疲れ様です。
    今回のコメントを目にして、かつての自分を思い起こしていました。
    私も、高校を出て、国鉄に6年半程勤めておりました。
    87年4月の分割民営化の半年前から、特別退職の募集が始まり、それで私身国鉄を去った訳です。
    当時オンラインシステムの保全の職場におりましたが、私の他何人かは、清算事業団の前身に廻されて、その代わりに当局よりの別の職員が廻されたりして、元の職場は騒然としていたそうです。
    「去るも地獄、残るも地獄」と言われていた時代でした。
    はたやまさんには、想像することが難しいかなと思いますが、一緒に闘争した方々にお聞きするとより詳しく理解できるかと思います。
    闘いの場に残った方々が平穏に暮らせる日が来ることをお祈りいたしております。

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  2.  まゆゆさん、コメントありがとうございます!
     当時、高校生の私にとって分割民営化が何を意味するか、現場で何が起きているのかを理解することは、まったくできませんでした。
     もちろん今でも、すべてのことが詳しく理解できているわけではないと自覚しています。
     まだ雇用の確保という課題は残っていますが、今回の合意に至るまでの争議団・家族の気持ちを思うと、こんな私にも何とも表現できない思いが沸き起こります。
     昨日も、争議団・家族のみなさんに「本当にお疲れさまでした」以外の言葉が見つかりませんでした。
     本格的な全面解決に、私も決意を新たにしてがんばります。

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