岩渕さんの演説は、昨日の閉会中審査での質問から。「そもそも漁業者との約束を守らなかったのに『何十年も責任を持つ』という岸田首相の言葉を信じられますか」との問いかけに、会場からも「そうだよね」とうなずく方が。物価高への無為無策はじめ、岸田政権への不満や不信は根強いのです。
マイナンバーカード押しつけと健康保険証の廃止やめよ、賃上げと中小企業支援、消費税減税とインボイス導入中止、そして大軍拡をやめさせるために日本共産党の躍進をと、力強く訴えた岩渕さん。ふだんは聞けない私の押し上げもしていただき、がんばらねばとの思いも強まります。
幕別町にあるニッタクス(旧・新田ベニヤ)十勝工場は、戦後に労働組合への加入が相次ぎ、労働環境の改善がはかられます。社宅ではうたごえやカルタ取りで賑わう声が響くなど、労働者の団結が強まっていったとのことでした。
しかし、米国が「アジアにおける反共の砦」へと日本の占領政策を転換し、GHQ主導のもと、当時の財界はじめ日本の支配者層も主体的にレッドパージを進めます。その波は新田ベニヤにも及びました。
工場で原因不明の火事が起き、「共産党による放火事件」と報じられたのです。当日は職場に10数名の党員と100人以上の赤旗読者がいたとされ、あわせて労働組合にもバージの嵐が及び、労組書記長が逮捕されてしまいました。
「不当逮捕だ」と組合員だけでなく女性・主婦も怒りの声をあげて、幕別警察署への抗議デモには何と150人。釈放すると言いながら帯広警察署へ移送した警察のウソに、いっそう怒りが広がって、結局は釈放せざるを得なくなったのです。
釈放され、列車で幕別へ戻ったのが23時。駅で出迎えてくれた150人が「バンザイ」と声を上げ、あらためてデモ行進が始まりました。団結の力がレッドパージをはね返し、赤旗分局で党を守ってきた加藤秀雄さんが1955年、幕別町で初めて日本共産党町議として当選するに至ったのです。
ちなみに幕別町議会は、定数19議席のうち日本共産党が4議席(約21%)を占めます。帰りの時に「私が加藤の娘です」と声をかけられビックリしましたが、こうして日本共産党は地域・職場・学園で力をあわせて平和や民主主義、人権を守ってきたのです。
新たな仲間も増えて、みんなで大喜び。私も決意を新たに、がんばります。
【今日の句】この熱気 必ず議席へ つなげよう
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