2018年6月24日日曜日

戦争の記憶を継いで

 北海道勤医協総会であいさつし、そのまま札幌市白石区で入党の呼びかけに。そこで聞いた党員さんの話が心に残ったので記しておきます。

 いっしょにまわってくれたTさんは今年、数えで87歳。体の調子が悪いところはありますが、背筋もピンとして話す口調もしっかりされている方です。お宅にお邪魔したご夫婦のところで、私から入党の呼びかけをした後にTさんが終戦前後の話をされたのです。

 --私は昭和7年の生まれ。戦争が始まったら、まともに教育も受けられなかった。男は戦地へ、女は子どもを育てるのだという時代。子どもたちは農作業もし、防空壕へ逃げる訓練もしてきた。

 --戦争が終わった後、資格を取ったり退職金ももらえるからと警察予備隊に入った人も多かった。私も募集に応じて入ったが、「警察の予備」どころか戦前の軍部そのままだった。訓練は過酷だったし、解散されたはずの軍の経験まで持ち出して「前の軍では-」などと言いだす始末で、何も変わっていないと感じた。

 --防衛大を出て幹部になった若い連中も、言葉はうまいが戦争の事実を知らないような生意気さがあった。結局、警察予備隊の幹部は昔から何も変わっていない、今の自衛隊にも引き継がれているのではないかと心配になる。安倍首相など、戦争の何もわかっていない。

 --今の安平町に弾薬庫があり、そこへ実弾を運ぶ仕事もした。何発も何発もだ。隊員の匍匐(ほふく)訓練で、その頭上を実弾が飛び交う。銃などは固定されているだろうが、1つ間違えれば大惨事だ。実弾を飛ばす必要だったない。こんな弾の使い方するくらいなら福祉にまわしたらいい。軍事費については、よく見なければならない。

 --憲法を変えようとする安倍政権は必ず変えなければいけない。子どもや孫・ひ孫に平和な社会を残したい。日本が平和だったのは憲法9条があったからだ。

 こうやって言葉にすることで、話す言葉の1つ1つの迫力が薄まりはしないかと心配になります。それだけTさんは、自分の体験をていねいに話されていました。帰り際に私に「こういう話を多くの人に知ってほしいんだ」と話されていたことも印象的でした。

 お話を聞いたご夫婦は入党するに至りませんでしたが、夫さんが「ちょっと、それを読ませてください」と、あらためて入党の呼びかけなどが入った封筒を手にされました。今日のTさんの話は心に残ったでしょうし、ぜひ一緒に政治を変える仲間になってほしい。

 話しは前後しましたが、道勤医協社員総会には「戦争させない市民の風・北海道」の上田文雄共同代表が来賓で見えられていました。上田さんも「私も『戦争を知らない子どもたち』の1人だが」と述べつつ、戦争体験のない国会議員が多数のもとでの危機感を話されました。

 戦争を体験された方が、少なくなってきました。もちろん戦争を経験しない世代が多数となるのは幸せなこと。しかし、私たちの平和はどのような土台のうえに成り立ったのかを知らなければ、同じことをくり返すかもしれません。ドイツでは徹底した歴史教育がなされますが、日本は逆に侵略戦争の歴史をゆがめる動きが強いだけに、そのせめぎ合いに負けるわけにはいきません。

 明日は定例宣伝と、札幌北区での活動です。

 【今日の句】総理とて 戦争知らない 子どもでしょ

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