2014年2月7日金曜日

「北方領土の日」にあたって考える

 今日は日本とロシアで初めて条約(「日露通好条約」)が結ばれた日。あらためて「北方領土」の歴史を確認することは大事なことだと思います。

 図をご覧ください。

 まず日露通好条約(1855年)で、日露間の国境は択捉島と得撫島との間と定められました。

 次に「樺太・千島交換条約」(1875年)で、日本が樺太の権利を放棄し、その代わりに得撫以北の千島全体が日本領となりました。

ところが、第二次世界大戦。

 ロシアが日本へ参戦する代償に千島列島の引渡しを、米英両国に求めます。

 これが「ヤルタ会談」で、領土不拡大の国際原則がふみにじられるわけです。

 その結果、終戦後にまでも、ロシアは千島だけでなく北海道の一部である色丹島・歯舞群島まで占領しました。

 それを史実にもとづく、日本政府が国際社会にも訴えるべきでした。

 しかし日本政府は、サンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄します。

 その後、日本政府は色丹島・歯舞群島に加え、択捉島・国後島は「千島に入らない」から返還せよと、今の「四島返還」ということになりました。

 まず、色丹島・歯舞群島は、明らかに千島列島に含まれないわけですから、優先的に返還される道理があります。

 択捉島・国後島について、先の歴史的経過から日本共産党は千島列島全体が日本領であり返還は当然だと考えるものですが、ここから先は解決していくべき問題があります。

 サンフランシスコ条約での、千島放棄条項の再検討です。

 戦後処理の不公正があったことを日本側から提起しないと、事は進まないでしょう。

 日本共産党は、まず色丹島・歯舞群島の返還を優先し、中間的な条約を結びながら、択捉島・国後島を含む千島列島の帰属を話し合う、いわば段階的な取り組みも提起しています。

 これまでも何度も書いてきましたが、すでに島民だった方々も高齢化し、解決が急がれます。

 同時に、次世代に歴史を伝え、風化させることもあってはならないと思います。

 根室管内、特に根室市は、問題未解決のため海域が制限され、水産業や地域経済にも大きな影響を与えています。

 現地の話を聞くたびに、政治が急いで解決に向かうべきだと痛感します。

 微力ながら、少しでも返還に向けた力になれればと決意を新たにしました。

 【今日の句】 その島に あった暮らしを 忘れずに

2 件のコメント:

  1. 島民だった方々の思いを考えれば、涙があふれ胸が痛みます。戦争そのものもそうですが、戦後処理の理不尽さも人々を苦しめますね。解決への政治の責任は重いですね。そして、戦争を反省せず、それどころか「戦争する国へ」と突き進む、安倍政権の暴走を止めさねばなりませんね。

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  2. 森さん、コメントありがとうございます!

    そうですよね、被害を受けるのは住民ですものね。
    いきなり故郷を追われ、強制的に船に乗せられて‥‥という
    当時の様子を聞くたびに、早い解決を!と思いました。
    何より、戦争しない国づくりへ!
    引き続き私もがんばります。

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