2020年2月22日土曜日

彼らの意図、ものになるべし

 「あー、またこの2月の月がきた」。小林多喜二の母・セキさんの言葉が頭をよぎる奥沢墓地。没後87年となる今年の墓前祭には100人を超える方が駆けつけました。

 墓地に着いて驚きました。雪が少ない。本州の方からすれば豪雪に見えるでしょうが、雪をかぶらずに小林家はじめ多くの墓が見えている墓前祭は、私にとっても初めてです。それでも前々日から、実行委員会のみなさんが雪踏みで墓前までの通路とスペースをつくってくださっているからこそ墓前祭を開くことができるのです。

 ところで、なぜ多喜二の墓前祭には赤いカーネーションが捧げられるのか。多喜二の遺体のもとに中条百合子の名で赤いカーネーションの花籠が届けられていたとか、セキさんが監房にいた蔵原惟人に花を差し入れたというエピソードなどから、第1回多喜二祭実行委員会で始まったものと今日の配布資料に書かれていました。恥ずかしながら私も初めて知ったことでした。

 実行委員会共同代表の荻野富士夫さん、治維法同盟道本部の宮田汎さんのあいさつがあり、党道委員会を代表して私も一言あいさつ。作家であり日本共産党員であった多喜二の作品は社会的不合理を鋭く告発しながら、立ち上がる仲間の団結を描いていることに私たちは希望を見出し、生きることの勇気をもらってきた--あらためて、この生き方に学びたいと触れました。

 「1928年3月15日」のなかで、工藤の家へ警官が来て連行される場面があります。そこで工藤は「こんな事で一々泣いたりほえたりしていた日にゃ、俺たちの運動なんかできるもんでないよ」と述べるのです。激しい弾圧に立ち向かう力強さと革命的楽観性が、ひしひしと伝わってくる場面です。

 多喜二の死にあたり、作家の志賀直哉は「彼らの意図、ものになるべしといふ気する」との言葉を残しました。平和と民主主義の旗を掲げたたたかいは、戦後、日本国憲法へと確かに実りました。同時に今の時代は安倍政権が歴史に逆行する政治を進めるとともに、日本共産党に対しても「今も暴力革命の方針を持っている」などのデマ答弁を平然とおこなっています。許されません。

 このデマ答弁に、市民や他の野党から反撃・反論が広がっているのは本当に嬉しいことです。「党生活者」のなかで、党員が意を決してビラをまいた時に、仲間の労働者が拾っては高く投げ、拾っては高く投げて、誰がまいたかわからないようにするという場面があります。通ずるものを感じるのです。

 多喜二が今の時代に生きていたら、市民と野党の共闘をどのような思いで見るでしょうか。志賀直哉が「ものになるべし」と述べた多喜二の遺志を継ぎながら、今の時代を生きる私たちらしく、心が通いあう政治を切りひらきたい。献花をしながら多喜二に誓いました。

 その後に札幌で、党道委員会が主催してのTALK LIVE。今回は小学生の子育てを中心としたテーマで、お母さんたちと約2時間の話となりました。その間に子どもたちはクレープとおはぎをつくって食べるなど、楽しそうな時間を過ごしていました。

 学校の宿題の多さや先生とのコミュニケーション、教育費の負担、子どもが集える場所や時間の大切さなど、語り足りないだろうほどの話題にあふれました。学校に押しつけられている学習内容が増えているし、親だって仕事などを抱えて余裕がないまま、いろんなことをこなしていくという感じに日本全体がなっているのかもしれません。

 つまりは「いっぱいいっぱい」の毎日で、その大元をたどれば今の政治に行き着くのではと思います。学校にも子育てにも、社会にも家庭にも余裕や時間を。そのためのシステムの見直しを。あまり子育てに関われていない身としては反省しきりですが、政治の面でしっかり役割を果たしたい。

 【今日の句】いつ見ても 多喜二の視線 まっすぐに

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