2020年3月11日水曜日

忘れちゃいけない9年前

 東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から9年。今なお続く苦難に政治が向き合ってほしいと願いながら黙祷した午後2時46分。道原発連・国民運動道実行委員会による「鎮魂と連帯行動」に参加しました。

 9年前のその時間は札幌駅にいた私。何だか揺れた感じがしたものの周りの方は平然としてるので「疲れがたまって、めまいでもしたのかな」ぐらいに思っていたところ、翌月の出産を控えて自宅にいた連れ合いから電話があり大地震・大津波の発生を知りました。

 それから大慌てで宮城県石巻市の両親や妹などに電話をし、その時点での無事は確認できたものの、妹とは「施設の1階に水が来てるけど大丈夫」と話した後に電話が通じなくなったものだから気が気でありませんでした(その後に無事だったことが確認できました)。

 そして衝撃の原発事故。この事故で真っ先に浮かんだのが、石巻市の隣町・女川町の原発でした。津波の被害が報じられることとあわせて、正直に言って両親や妹たちとはもう会えなくなるかもとの思いもよぎりました。行くにも行けないもどかしさも重なり、何とも言えない感情で過ごした毎日を今も鮮明に覚えています。

 あれから9年。今だ仮設住宅に住まわざるを得ない方もいるし、福島では故郷に帰れない方が多く残され、それなのに東電は見合った賠償を渋っているという実態も聞きます。問われているのは政治の責任です。その思いを込めてマイクを握り、私からもスピーチしました。

 一昨年の胆振東部地震も経験して、被災者にとことん寄り添うことの責任の重さを痛感しました。いろんな壁にもぶつかりもしましたが、これまで多くの声によって制度は拡充されて今日に至っていることを考えれば、今ある支援制度は目いっぱい使いながら足らざるものは拡充を求めていくことを止めてはいけない。今の新型コロナウイルス対策にも通じる姿勢ではないかと思っています。

 その対策についての拡充や現場の実態を伝えようと、明日の政府交渉を設定したため「鎮魂と連帯行動」の後に東京へ。乗ったJRや、新千歳空港も羽田空港も「こんなに人がいないの?」と衝撃を受けるくらいの少なさに、私のなかでも今後の経済状況への不安がさらに高まりました。しっかり明日の交渉に臨みたい。

 【今日の句】願ってる 前を向きたい 誰だって

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