2019年10月7日月曜日

島の苦労も喜びも分かち合って

 利尻山には冠雪が見られたものの寒さもなく、気持ちよく利尻町・利尻富士町を懇談や宣伝、あいさつにまわりました。多くの方にお会いできました。

 衆議院比例予定候補として本格的に全道をまわっていくキャラバンを、まず今日の利尻町・利尻富士町、明日の礼文町と進めることにしました。まずは両町長さんへのごあいさつ。保野洋一・利尻町長さん、田村祥三・利尻富士町長さんが時間を割いてくださいました。

 両町で、まず話題となったのが国保病院の再編統合問題です。利尻町と東利尻町(当時)が広域行政で設置することを決め、1985年10月に病床数48床を持ってスタートしたのが利尻島国保中央病院でした。島で唯一の入院施設であるため、全島での安心の拠点として喜ばれて開院したのだろうと思うのです。

 今も常勤医3人と非常勤医5人で、内科・外科(常勤医)と眼科・産婦人科・整形外科(非常勤医)を担っています。月曜ということもあるかもしれませんが、病院に入ると多くの町民が受診に来ていました。

 地域医療の拠点としての役割があるのに、国は高度医療などの基準を一律にあてはめていくことへの疑問が強くあります。両町長とも疑問を口にされていました。ベッドの稼働率や採算性を問題にしていたら、全国の地域医療は成り立たなくなってしまいます。公立・公的病院の存在意義がなくなってしまいます。

 歴史を見れば、求められていた利尻の病院です。いっしょに力をあわせて守りますと、私からも話しました。

 島を一周ぐるっとまわって鴛泊・鬼脇・仙法志・沓形の地域では、ハンドマイクで訴えもしました。なかなか街頭宣伝なども聞かれない地域なので、珍しさ半分もあって(?)出てこられる方が各地でいらっしゃいました。「せっかく来たんだから聞かなくちゃ。がんばってね」と激励してくださる方や、「消費税はやっぱり困るな」と商店の方、「まわりに人もいなくなってきてね」と切々と話してくださる方など、時間があればもっと多くの方と語り合いたいほど。

 党天北地区委員長の安藤さんが同行してくださったのですが、安藤さんが利尻の学校で校長を務めていたこともあり、お知り合いにも紹介していただきながらまわりました。どこでも「しばらくぶりだね」と声もかかって、なごやかな話の輪のなかに私も加わりました。どこでもあたたかく声をかけていただいたのが、本当にうれしいかぎり。アポなしでしたが、漁協や商工会などもまわりました。

 いま日本共産党は、野党連合政権へ向けた協議をしようと各党に呼びかけています。れいわ新選組・山本太郎代表とは、すでに志位委員長が話し合いを始めました。その様子を伝える「赤旗写真ニュース」を持ってまわり、貼ってもらえるようにお願いもしてまわりました。「目立つところに貼って」と言ってくださるお宅もありましたし、山本代表が利尻に来た時の「れいわ」のポスターが貼ってある家にも声をかけてみたところ、ありがたくいっしょに貼らせていただいたお宅もありました。

 私の母の実家が離島だったこともあり、自然の素晴らしさも、島だからの苦労も感じながら私も育ちました。でも、実際に住まわれている方の現実は、やっぱり聞かないとわからないもの。多くの方と語り合う、とても大事な1日になりました。明日は天気が心配ですが(だんだん風が強まっています)、期待しながら礼文島に向かいます。

 【今日の句】あったかい 人も空気も この島は

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