寿都町・片岡春雄町長が「核のゴミ」最終処分場へつながる文献調査に応募すると表明しました。撤回は可能だし、町民もあきらめていません。神恵内村とあわせて、菊地葉子・宮川潤の両道議とでまわりました。
これほど大事な問題なのに、町議会も本会議ではなく非公開の全員協議会で議員の意見を聞く、ということはどういうことなのでしょう。日本共産党・幸坂順子町議や他の議員が主張しても受け入れられなかったにとどまらず、議事録さえ公開しないのでは住民の不安に応える開かれた議会運営と言えるのか疑問です。
その全員協議会の場では幸坂町議などの反対意見が出ても、最後に議会の総意を町長に伝えるとのことで小西議長が引き取りましたが、記者会見で述べたのは「町長の執行権と政治的判断を尊重したい」との町長追認。議会全体は尊重などに同意していません。
その片岡町長も、表明に至る理由で「住民説明会で反対の声が大きくなってきた。賛成の住民が『そろそろ声を上げなければ』と私に言ってきて、両方が声を上げると町が分断される」と責任を町民に転嫁し、反対の声が大きくなってきたと述べながら「反対の票は停滞してきた」とも言う始末。「住民投票に費やす時間はない」と、住民の意思を確認することにも背を向けました。
市民団体「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」の吉野寿彦さん(マルトシ吉野商店社長)は「初めの報道で見た瞬間から『町長アウト』と思った」と切り出し、「知事が寿都に来たときには『知事の言うことは聞かないが、住民の言うことは聞く』と町長は言っていたじゃないか」と語気を強めました。
「核のゴミという『落し蓋』をされたら町がダメになる。町長は人口減少などを言うが、商売で言えば時代の変化についていってないから先細りになる」との話は、これまで牡蠣とシラスを町の「売り」にまでしてきた水産関係者の共通の思いと受け止めました。町の未来を考えるなら若い人を育てなければダメ、町職員が萎縮しないように、若いうちに失敗できるようにすることも必要との話まで及びました。
同じく会のメンバーである槌谷和幸さんは、今年3月に策定されたばかりの町総合振興計画づくりにも関わった方。これから10年先の町の未来像まで考えた計画には「核のカの字もないはずだと町長に聞いたら『計画と今回の件は別』と言われた」とあきれ気味。「補助金漬けになったらやめられないし、努力しなくなる。今のうちに止めないと」と危機感を語りました。
ペンションを経営されていて、室内には日本海に沈む美しい夕陽をとらえた写真が飾られていました。「退職して、のんびり暮らそうと思っていたのにな」と笑う槌屋さん。それでも黙っていられないと声を上げるのは、寿都が好きだからとの思いがひしひしと伝わりました。
応募されたから終わり、と町民はあきらめていません。幸坂町議は「まさにこれから」とも述べました。寿都町では幸坂町議を先頭に、あわせて全道でも日本共産党が「核のゴミはいらない」と、心ひとつにがんばりますと私からも応じました。団結こそカナメです。
一方、文献調査に応じる請願を、村議会で賛成多数の採決をした神恵内村。髙橋村長は「一晩考えたい」と応募表明はしなかったものの、明日にでも経産省からの申し入れに応じる形と報じられています。
公開質問状を出すなど説明を求めつつ、「町づくりについては何年も前から私も口にしてきた。核のゴミに頼るようなことは許されない」と訴える滝本正雄さん。村役場のすぐ近くで日本画などを展示する「銀の鈴記念館」の主宰でもありますが、記念館を兼ねた自宅の窓には「核のゴミNO!」のポスターがずらり。滝本さんは泊原発への反対にも声をあげ続けてきた方でもあります。
その滝本さんと、いっしょにマイクを握りました。「表立って声に出せないが反対している、と電話をかけて『高齢(87歳)の滝本さんに言うのも心苦しいけど頑張って』と話された方もいる。子どもたちに核のゴミを残すようなことをしてはなりません」と、凛とした口調で訴える滝本さん。隣で聞いていて、その本気さが胸に響きました。岩内町から大田勤町議(日本共産党)らも、活動に連帯しようと駆けつけました。
首長や議会は住民から選ばれた存在だけに、その決定は重いもの。村外の日本共産党が覆すことなどしませんが、重い決断だからこそ慎重に審議してほしいと私からも述べました。いち自治体のみならず、ことは北海道全体にもかかわることだからです。財政難や人口減少の苦しみについては、他の自治体とも手をつないで国へ声をあげていく道を選んでほしいことも加えました。
多くの報道陣も駆けつけて、全国的なニュースとしても報じられています。道内での活動も強めるし、国会とも連携して、地方にツケをまわして住民を苦しめるなと訴えていきたい。
【今日の句】強行に 黙るものかと ふつふつと
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